ホームニュースプライマリ・ケア Field LIVE!Vol.06/ 「地域医療のバトンを先代から受け継ぎ、孤立しがちな都心部の高齢者や住民を優しい視点で見守る女性医師」【医師】守島亜季先生

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プライマリ・ケア Field LIVE!

Vol.06/ 「地域医療のバトンを先代から受け継ぎ、孤立しがちな都心部の高齢者や住民を優しい視点で見守る女性医師」【医師】守島亜季先生

高齢化が進んでいる東京都江戸川区の診療所で、地域住民の診療を行なっている守島亜季先生。総合診療の家庭医としてだけでなく、診療所の軒先を開放して青空市場などを開催し、高齢者が買い物や交流を楽しみやすい環境を整えるなど、地域ぐるみの心温まる取り組みも行なっています。先代から診療所を受け継ぐまでの経緯、プライマリ・ケアとの出会いと魅力、都心部の地域医療が抱える課題などをインタビューさせていただきました。

学生時代に出会った「家庭医療」

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- 守島先生が院長をされている診療所は、先代のお父様から受け継がれたそうですね。

父が1980年に整形外科医院を開院し、私が2010年7月に継承しました。先代のときは整形外科の単科でしたが、私が継承してから内科の外来診療と、在宅支援診療所として訪問診療も開始しました。診療所の名称を「守島整形外科」から「守島医院」に変更したのも、診療科を限定せずに幅広い患者さんの体調の不安や困りごとを幅広くサポートしたいとの思いがあったからです。

- 医師を志すようになったのは、お父様の影響もあって自然に?

そうですね。当時は診療所のすぐ上に実家があり、母もスタッフとして父を手伝っていました。住まいと医療が密接で、幼い頃から身近に感じていましたね。学校から帰れば常に患者さんたちが周りにいて、診療所の中が遊び場のような感じで(笑)。看護師さんにも、可愛がってもらいました。
ただ、「父の跡を継いで私も開業医になるぞ!」とは、当初あまり考えていませんでした。
大学に入ってから何科に進むべきか、ずっと模索していました。

- 総合診療に進まれる、何かきっかけがあったんですか?

大学5年次に国内外問わず病院見学に行ける時期があり、国内では総合診療科のある病院を幾つか見学しました。海外の短期留学制度もあり、米国に1カ月ほど行く機会に恵まれ、そこで「Family Medicine(家庭医療)」に初めて触れました。現地の学生と交流もあり、学生が堂々と患者さんの問診をしたり、身体所見をとる姿を見て、知識や技能も豊富で驚きました。同時に、家庭医療の医師の立ち位置が、もしかしたら父の開業医の姿勢に通じるものがあるのかも知れないと興味を持つようになりました。

- 学生時代の短期留学で家庭医療と出会ったのですね。帰国後は?

科にとらわれず全人的な医療を学びたいと考えるようになり、マッチングで沖縄県の病院を選択しました。総合診療や救急にも力を入れていた浦添総合病院で初期研修を行い、初期研修後は在沖縄米国海軍病院でインターンとして学びました。
在沖縄米国海軍病院では各インターンに1年間メンターがつくのですが、私の担当が家庭医療科の医師でした。
その出会いも分岐点となり、家庭医療と地域医療に対する興味が自然に湧いていった気がします。
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思いがけず突然訪れた診療所継承

- 幅広い領域の医療を学ばれた後、ご実家の診療所へ戻られたのは?

2010年7月、東日本大震災の前年です。沖縄での研修を終えた後も、まだ進む科を決めきれなかったこともありましたが、ご縁があって自治医科大学で感染症を学ぶ機会を頂き、全科に跨がる感染症の奥深さを学びました。感染症と繋がりがある公衆衛生学にも興味が湧き、国立成育医療研究センター研究所で非常勤共同研究員として疫学の勉強をしていました。その際に週1回程度、父の診療所を手伝っていたのですが、継承することまでは考えていませんでした。
ところが、父が突然病に倒れ、入院から数日で急逝し、本当にもうそこからはバタバタという感じで。

- 突然のことでしたが、診療所や患者さんのことも悩まれたのでは?

突然でしたし、当初は、私は研究員としての業務があったので診療所を閉院せざるをえないと考えていたんです。他の病院に転医できるよう紹介状を書くつもりで、1カ月くらい時間をかけて、患者さん一人一人と面談をしました。
ところが、患者さんたちに叱られたんですよ(苦笑)。

「閉院?何を言ってるの?あなたがいるじゃない!」って。

患者さんの言葉に戸惑いましたが、背中を押されるように、もう1回初心に立ち返って「何で医師になろうと思ったのか…」と考えたときに、真っ先に浮かんだのが町医者だった父の姿でした。

挑戦していないのに、弱音を言ってはいけない。医師としては5年目でまだまだ未熟だけど、患者さんが一人でも通ってくださる間は診療所を続けよう、と。周りにも反対されましたし、悩みましたが、気持ちを切り替えて継承することを決めました。

- そして、2010年7月に「守島医院」として正式に継承された。

そうです。その後に東日本大震災があり、診療所の在り方を考えました。東日本大震災で多くの方が帰宅困難者になり、当院の建物が国道に面していることもあり、「トイレを利用させてほしい」というお声がありました。
その時に、診療所は公共機関だということを改めて認識しました。

また、継承した際の診療所の形態は段差もあり、スリッパに履き替えて入る仕様だったので、車椅子を利用される方は入るのが困難でした。そんな背景もあり、2015年に診療所の建て替えを決め、法人化し、今の形になりました。災害時を想定し、緊急時にどなたでも利用いただけるよう、1階に車椅子でも入ることができる多目的トイレを設置しました。そして、整形外科だけではなく内科も診られる診療所として、多くの地域の方にご来院いただける体制を整えるため、バリアフリーの診療所として改装しました。リハビリ室を新設し、生活習慣病予防や介護予防のための運動を中心に行う厚生労働省認可の42条施設である運動型健康増進施設を併設しました。

また、継承するということは、同時に経営者になったので、経営の勉強もする必要があります。医療のことだけ知っていても経営は出来ないと思い、2015年に事業構想大学院大学に入学しました。同期や先輩には医療関係以外の職種の経営者も沢山いて、良い刺激をもらいました。
事業を想い描くことや、地域のコミュニティデザインについて学ぶことができたことは、診療所の今の姿に繋がっています。
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    現在の「守島医院」。
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    リハビリテーションや健康増進にも力を入れている。

- 「プライマリ・ケア連合学会」の会員になられたのは?

継承後の2011年です。診療所の院長という立場になり、
 「一人よがりになってはいけない」という思いと、
 「地域のネットワークを知って多職種と繋がりたい」
という思いから入会しました。

病院で働いていた頃とは全くフィールドが違うので、地域のケアマネジャーや行政、周辺の病院とどう繋がりを持てばいいのか、基本的なことも最初は分からなくて。まずは、地域を知ることから始めようと思いました。

- そして、学会の活動を通して人脈が拡がっていった?

そうです。専門的な知識や経験を学術学会等から得られますし、様々な先生と繋がりを持てることが、とてもありがたいと思います。多くの先生方との出会いを通して、地域に携わる自信を少しずつ積み重ねていけた気がします。特に、継承したばかりの頃に学会所属の先生方の病院や診療所を見学させて頂き、プライマリ・ケアの奥深さや面白さ、地域医療の醍醐味などを教えて頂きました。そして、診療所の経営に関する悩みなどについても開業されている先生方と共有する機会もあり、私自身の大きな支えになっています。

訪問診療の看取りを通じて地域医療を深く考えるように

-先生は現在、訪問診療にも力を注がれていらっしゃるとか?

はい。先代からの患者さんは40年以上通院している方もいて、高齢で通院が難しくなっている方も増えています。訪問診療をさせていただくと、一括りにできない患者さん一人一人の人生背景があり、お看取りが近づくと医療が力になれる部分は本当にわずかなのだと痛感します。
徐々に食事摂取量が減ったり、お薬も飲めなくなっていきますから、最期は患者さんが何をしたいのか、何を聞いていたいのか、何に触れていたいか、ということに尽きるんです。実際に患者さんに聞いてみると、「海苔の佃煮が食べたい」「孫の顔が見られるだけで幸せ」など、その人にとって何気ない日常に人は幸せを感じるものなんですよね。私たち医師ができるのは、その思いに寄り添い、支えていくこと。
人生の伴奏者の一人として、その人らしさを間近に感じられるのが家庭医療なのだと感じています。

-お看取りに寄り添う苦しさはありませんか?

最初はお看取りをするのが、苦しかったこともあります。自分自身を試されているような場面もありますから。私は父が亡くなるときに病院で立ち会いましたが、看取りの時間って忘れられるものではないんですよ。良い部分もあれば、そうでない部分もあり、個人的にも医療従事者としても反省することが沢山ありました。お看取りまでの時間を大切にしたいと思っているので、患者さんご自身が穏やかに過ごせて、残されるご家族が苦痛にならないように心掛けています。

-様々なことを吸収された今、必要性を強く感じていることはありますか?

継承して、今年で13年目になります。診療所がある東京都江戸川区には約70万人が暮らしていて、地域の高齢化率などが高くなっているのを知ると、地域のために今後自分は何ができるのか?ということを、ますます考えていかなくてはいけない時期にきていると感じています。高齢化が特に進んでいる地域なので、机上の空論ではなく、実像を伴った地域貢献をしていきたいですね。

-特に課題に感じていることはありますか?

高齢化が進むと、患者さん一人一人の疾患が多岐にわたるようになり、複雑化します。また、都心部ならではの課題が独居(一人暮らし)の高齢者が多いこと。サポートする医療従事者や介護従事者、そして、ケアマネジャーや民生委員も一緒に年を重ねるので、地域で従事する人材の不足が深刻化することも懸念しています。何か変化が起これば、とたんに患者さんの生活が崩れてしまう可能性があるので、どこまで関わればいいのか、どのようにご本人やご家族と緊密に連携していけばいいのか、家庭医としてはもちろん、医療とはまた別の観点からも何かサポートができればという思いが強くなっています。

診療所が地域交流のハブ(中継点)であることが理想

-何か具体的な地域活動をされているんですか?

コロナ禍の前までは、患者さんやご家族の交流の場として、盆栽の苔玉作りや患者さんの作品展なども行っていました。地域包括支援センターによる認知症サポーター育成の講習会なども行っていましたが、今は残念ながらコロナ禍になってから開催できていません。これから徐々に、また地域の交流の場として開催ができればと考えています。

また、診療所の軒先で青空市場を毎月開催しています。名付けて“軒市"(笑)
きっかけは、腎臓病や糖尿病の高齢患者さんの声でした。疾病によっては食事制限があるのですが、高齢になると「何もかも制限されるのは嫌」、「年をとっても美味しいものが食べたい」という方が多い。そこで、低糖質のジャムを作っている工房に出店してもらったり、栃木県の生産者に旬の野菜を一人暮らしや高齢の方が買いやすいよう小分けして分けてもらったり。「これなら食べてみたい」と前向きになるきっかけや、生産者の農家さんと地域住民の方との新たな交流が生まれることに繋がればと思い、続けています。
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    たくさんの方が訪れる“軒市”の様子。
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    地域交流が目的で、売上げは全て生産者に還元している。

-素敵ですね。今後チャレンジしたいことはありますか?

治療のための薬を増やすよりも、食べる楽しみを増やす方が生きる気力に繋がると感じることがあります。治療をしていても、食べる楽しみをもてるような日本各地の様々な名産を軒先市場でご紹介できれば嬉しいです。医療機関が考えることではないかも知れませんが(笑)、生活の質を保つことは健康維持にとても重要。地域の管理栄養士さんのご協力も頂きながら、まずは「楽しく生きるために食べたい」と思ってもらえる働きかけをしたいです。診療所には健康増進のための運動設備も整っているので、食事+運動で重症化予防のサポートをしたいと考えています。

また、現在、Johns Hopkins大学で公衆衛生学を遠隔で学んでいます。コロナ禍になり、オンラインでより柔軟に世界と繋がることができるようになり、その機会を生かして入学を決めました。地域や国、そして文化や民族性などの幅広い視点から医療やケアを考え、目の前の患者さんに還元できるように知識を深めていきたいと考えています。

現在は地元医師会の活動にも携わっており、行政機関や医療・介護・福祉の事業所などと職種を越えた連携を図りながら、微力ではありますが地域の健康増進のお役にたてればと思っています。

-地域住民の生活に寄り添っていらっしゃるんですね。

診療所が地域のコミュニケーションのハブ(中継点)になれたら嬉しいです。診察が目的でなくても、「こんなところで野菜を買えるのね」と知っていただくだけでもいい。実際、診療所の前を車で通り掛かって立ち寄られる方もいらっしゃいます。
診療所だからといって全てを医療につなげる必要はないと私自身は思っているので、地域の方に「あそこに行けば楽しいことがある」「何でも相談できる」と心を開いていただける場でありたいと考えています。
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    地域との交流を大切にしている守島先生
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- 最後に、先生にとってプライマリ・ケアの魅力を教えてください。

私自身、地域で経験を重ねていくにつれて、実は先代の父も専門は整形外科医であっても、家庭医療や総合診療的な要素を含んだ診察を長年続けてきたのかも知れないと感じるようになりました。父だけでなく、開業医の先生の多くは専門の領域や科にこだわらず、様々な年代の患者さんたちの悩みに寄り添って来られているのではないかと思います。
「ゆりかごから墓場まで」と言われますが、とても理想的である一方で、難しいことでもあります。でも、それを実現できるのがプライマリ・ケアに携わる医師だと思いますし、患者さんの人生に携わることが出来る本当に素晴らしい領域だと感じています。

プロフィール

医療法人社団つむぎ会 
守島医院
院長 守島亜季(もりしま・あき)先生

◆守島医院ホームページ
https://www.morishima-iin.net

~プロフィール~
2005年 順天堂大学医学部医学科卒業
2005年 浦添総合病院(初期臨床研修医)
2007年 在沖縄米国海軍病院(インターン)
2008年 自治医科大学附属病院(感染症内科・感染制御部)
2009年 国立成育医療研究センター研究所(成育疫学研究室 非常勤共同研究員)
2010年7月~ 守島医院 継承 
2015年5月 医療法人社団つむぎ会 設立
2017年 事業構想大学院大学 事業構想学修士課程修了
2021年~ Johns Hopkins *Bloomberg School of Public Health*, Master of Public Health(Online Student)

日本プライマリ・ケア連合学会認定プライマリ・ケア認定医
日本プライマリ・ケア連合学会関東甲信越ブロック支部代議員
日本プライマリ・ケア連合学会東京都支部副支部長
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取材後記 ~高齢者の孤立化が進む都心部で家庭医ができること〜

高齢化が加速し、独居高齢者の買い物弱者化、孤立死などの問題が山積する都心部の地域医療。
総合診療の家庭医が「医療に関係なく、患者さんが何でも相談できる身近な存在」になり得ることを、守島先生のインタビューから感じた。先生ご発案の“軒先市場"も今後ますますパワーアップすることだろう。過疎化が進む地方と人口密度が高い都心部。同じ地域医療で課題や解決策が異なることと、変わらない家庭医としての看取りの姿勢などを今回学ばせてもらった。

最終更新:2023年02月08日 13時40分

「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

記事の投稿者

「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

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