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vol.19/「医療に携わりながら地域起こしの一環として農業にも参加。山里に暮らすユニークな家庭医」【医師】玉井友里子先生

週のうち半分は医師として働き、残りの半分は棚田で米づくりにいそしむ——。岡山県美作市の山あいに広がる集落に、そんなユニークな女性医師がいます。今回の記事では、その玉井友里子医師にご登場いただき、これまでの歩みについてお話をうかがいました。家庭医(総合診療医)として地域に溶け込むことの大切さ。その理解を深めるヒントが満載です。
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ITエンジニアになるか、医師になるかで迷ったことも

— 先生が医師を目指した理由からお聞かせ下さい。

実はあまり大きな声で言えることではないんです(笑)。というのも私はもともとITエンジニアになりたくて工学部を目指していたんですね。当時はちょうど「ブロードバンド(広帯域高速大容量データ転送)」が普及しつつあり、光ファイバーやケーブルテレビなどが一般的になり始めている時期でした。「これからはITの時代だ!」ということで、エンジニアを目指したわけです。その一方で、私のまわりには医学部を受験する同級生が多く、それにつられるように記念受験的な気持ちで受けてみました。そしたら受かってしまったんです(笑)。

— それで工学部ではなく医学部に進まれたのですね。

はい。どちらに進むかをよくよく考えた結果、医学部にしました。工学部に進んだとしても必ずエンジニアになれるとは限りません。でも医学部ならだいたい医師になれますから、将来的なことを思ってそう決断したわけです。経緯が経緯だったので、私には「この診療科目の医師になりたい!」という思いもありませんでした。ただ、父のような医師にはなりたいという気持ちはありましたね。実は私の父は内科の開業医で、子どもからお年寄りまで幅広く患者さんを診ていました。夜中に「子どもが熱を出した」と連絡が入ればすぐに駆けつけるような医師だったんです。いわゆる「町医者」、地域のかかりつけ医ですね。せっかく頑張って医師になるのだったら、自分もそうなりたいと思っていました。

— それが総合診療へと向かわせるきっかけになったわけですか?

そうなりますね。私は医大を卒業したあと初期研修は名古屋の協立総合病院にお世話になったのですが、家庭医(総合診療医)になるためのプログラムとして「家庭医療後期研修プログラム」があったので、一緒に勉強させてもらうことになりました。協立総合病院を研修先に選んだのは、在学中に見学に行ったときに家庭医のことを教えてもらったからです。そのときまで私は自分がどこの科に行くかを決めていませんでした。いまひとつ自分のなかで働くイメージがつかなかったんです。そのタイミングで協立総合病院の方から家庭医のことを教えてもらって「私がなりたい医師はそれだ!」と思ったわけです。その後、地元の関西(玉井先生は奈良県出身・大阪市育ち)に戻ってきたかったこともあって後期研修は尼崎市の尼崎医療生協病院で受けました。ここは協立総合病院の先生から勧められたことがきっかけでした。
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地域への理解なくして患者への理解もない

— 研修中のエピソードとして印象に残っているものはありますか?

入院患者の一人に高齢の男性の方がいらっしゃいました。見舞いに来る人もなく、病室でもずっと一人で過ごしています。そのことから私は「この人は孤独な人なんだな」という印象を抱きました。ところが、それは私の思い込みだったんです。その方が退院したあと、たまたま外出先で見かけたのですが、軒先でお友達らしい人と将棋を指していたんですね。その姿は孤独どころか、まさに「地元民」。地域に溶け込んだ存在として日々を過ごしていることが伝わってきました。この体験をきっかけに、患者さんを自分の勝手な先入観で見ないようにと戒めました。同時に患者さんのことを理解するには、そのバックボーンとなる地域への理解も必要だということを痛感したエピソードとも言えます。

— 研修を終えたあと小児科研修も受けていますね。

1年間、同じ尼崎医療生協病院で受けました。後期研修も小児科を経験したのですが、できれば1年間を通して学びたいという気持ちがあったからです。家庭医として活動していくことを考えると、子どもを診る機会はやはり多くなってきますよね? そのため後期研修だけでは正直経験不足だという不安がありました。例えば、冬に研修を受けたとしたらインフルエンザばかり診るといったことにもなりかねません。だから他の季節に起きやすい病気のことも知っておきたかったんです。

— そのあと岡山の診療所に行かれましたが、なぜ岡山だったのでしょう?

大学のあった大阪も含めて、名古屋、尼崎と都市部の医療を経験してきたことで気づいたことがあります。それは「都市部のクリニックでは患者さんの全てを見ることは難しい」というものです。都市部には医療の選択肢が豊富にあります。例えば「昨日は近くの病院でCTスキャンをしてもらって、その前は家の近所のクリニックで腰の調子を診てもらったの。それで今日はお腹が痛いからここに来たのよ」という患者さんも珍しくなかったんです。「内科・小児科だけでないいろんな病気を見たい」という私のニーズに都市部のクリニックでは不十分だとその時は感じました。

もし実家のような田舎で働くなら、「もっといろんな病気が見れるようにならないと」という気持ちから、いろんな問題が持ち込まれやすく、家族背景が見えやすい地方に行くことにしました。湯郷ファミリークリニックは家庭医療研修で歴史のある奈義ファミリークリニックと同じ法人で、知人のご縁もありお世話になることにしました。

「半農半医」で地域の安心感を支えていく

— いまは岡山の上山集落(美作市上山)にお住まいとのことですが。

最初は同じ美作市の湯郷に住んでいたんです。湯郷ファミリークリニックのある地域ですね。その時期に、クリニックの先輩たちと上山集落に遊びに行きました。なぜ上山集落だったのかというと、ここは地域おこしに熱心で、以前から興味を持っていたんです。それを知った先輩が「知り合いがいるから遊びに行ってみる?」と言ってくれて「ぜひ!」という話になったんですね。その上山集落ですが、棚田の里として知られているところです。でも高齢化の問題もあって、多くが自然に戻っている状態でした。その棚田を再生させようとしている「英田上山棚田団」という団体があって、先輩の知り合いというのがそこの人でした。その活動に参加するようになったことが上山に住むきっかけになりました。
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— 診療所も開設されたとのことですね。

はい。地域の人と交流を重ねていくうちに「上山に住むんだったら診療所も開設したいですね」という話をするようになっていたんです。「職住一体」ではないですが、私は自分が住む場所と医療をする場所は同じであったほうがいいというタイプなんですね。これはやはり町医者だった父の影響が大きいと思います。あるとき、私のその話を聞いた人が「じゃあ空き家があるから、そこを診療所にしよう」と言い出して、あれよあれよという間に診療所ができたんです(笑)。それで私も上山集落に移り住むことにしました。診療所自体は湯郷ファミリークリニックの経営母体が運営してくれることになって、その開設が2014年。それから5年ほど地域の診療所としての役割を果たしました。私も家庭医としてのやりがいをぞんぶんに味わうことができたと思っています。
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    玉井先生が勤務する湯郷ファミリークリニック

— 現在の活動状況はいかがですか?

いまは週のうち2.5日は医師として働き、それ以外は農業にいそしんでいます。先ほどふれた英田上山棚田団のメンバーと一緒にお米やニンニクを栽培しているんです。農業を経験することは患者さんと接するときにもプラスになります。例えば、毎年同じような時期に「手が痛む」という患者さんがいるのですが、その人はアスパラガスの栽培農家です。アスパラガスは収穫時に専用のハサミで根元を切るんです。その際に握力を使うため手が痛くなるんですね。それを知っていると患者さんとのコミュニケーションもスムーズになります。
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また、台風の時期になると用水路を見に行ったお年寄りが流されたというニュースが毎年のように報じられますよね? 以前はなぜそんな危険なことをするのか分かりませんでしたが、いまではその行動原理が理解できます。水路の状態によっては家が流されたり、農作物が収穫できなくなったりすることがあるんです。だからじっとしていられなくなるんですね。
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— 先生が今後チャレンジしていきたいことは何ですか?

上山集落は年々移住者が増えていて、それにともなって子どもの出産件数も増加しています。小さなお子さんを持つ親御さんたちにとって、同じ集落に医師がいるというのは大きな安心感につながると思います。そうしたつながりを大切にしていきたいし、強めていきたいというのが私の思いです。
また、移住してきたみなさんがずっと安心して暮らしていけるようなサポートも続けていきたいと思っています。

プロフィール

湯郷ファミリークリニック 家庭医療専門医

2007年 大阪医科大学卒業 協立総合病院(名古屋市)で初期研修医に
2009年 尼崎医療生協病院 家庭医療後期研修
2012年 尼崎医療生協病院 小児科研修
2013年 湯郷ファミリークリニック勤務

取材後記

患者さんへの理解を深めるためには、そのバックボーンとなる地域を知ることが重要——とは、多くの総合診療医が意識しているテーマに違いない。そのための方策はいくつもあるだろうが、なかでも玉井先生のスタイルはユニークな事例と言える。週の半分は医師として、残りは農業従事者として日々を過ごす玉井先生だが、お話をうかがううちにその両立はごく自然なことのように思えてきた(気負いもなく、いたってナチュラルな語り口でこれまでの歩みを語っていただいた)。地方への移住が時代的な話題になっている昨今、玉井先生のような存在は、地域に安心感を与えるという意味でも一つの希望を物語っていると言えるだろう。

最終更新:2023年06月15日 18時51分

「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

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