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vol.26/「総合診療を当たり前のものにするために。『医療の標準化』を目指して後進の指導に取り組む!」【医師】山田徹先生

今回ご登場いただくのは、東京医科歯科大学の総合診療医学分野で講師として活躍されている山田徹先生。山田先生は福岡にある飯塚病院における後期研修中に総合診療に興味を持ち、その後東京ベイ浦安市川医療センターの立ち上げにも関わりました。先生のこれまでの歩みとこれから取り組んでいきたいことについて、お話をうかがってみました。
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診断をいかにスムーズに行うかがスタート地点

― 先生が医師を目指したきっかけから教えてください。

うちは両親がどちらも薬剤師なんです。父は製薬会社に勤務していて、母は今も薬局を経営しています。そういうこともあって自然と「自分も医療系に進むんだろうな」と考えるようになりました。当時は薬剤師を考えていたのですが、医師免許を持っていたほうがいろいろ患者さんのためにできることが広がるという両親のアドバイスもあり、医学部を目指そうと考えました。私には5つ上の兄がいるのですが、彼も医学部に行ったんですよ。尊敬する兄が先に医学部に入っていたというのも、医学部を目指すことになったきっかけの一つかもしれません。

― 具体的にどの診療科に行きたいという希望はありましたか?

医学部に入る前は特になかったですね。入学してからも明確に「ここだ」というものはなかなか見つかりませんでした。 はっきりと「総合診療科でトレーニングしたい」と思ったのは、飯塚病院で後期研修を受けているときだったと思います。初期研修医時代にいろんな科を経験するなかで、救急外来の当直もあったんですが、私が初期研修を行った沼津市立病院では当直帯に救急で初療に関わった患者さんは、自分がそのまま担当になるというルールがありました。そのときに実感したのは、最初に診断がしっかりとつけられたら、その後の治療がとてもスムーズになるということでした。そのためには診断学とか症候学をしっかり学ぶ必要があると痛感しました。後期研修医になってから、飯塚病院の総合診療科で朝の臨床推論カンファレンスに参加した時にその面白さに衝撃を受け、「今自分が学ぶべきことはこれだ!」と直感しました。だから「総合診療医になりたい」というところがスタート地点ではなかったことになります。

― 担当した患者さんの診断をいかにスムーズに行うかがスタート地点ということですね。

そうですね。私は特に「この科が好きで、この科は苦手」ということはなかったんです。やはり自分が担当した患者さんはきちんと治したいという思いがありましたから、そのために必要な知識を体系的に学んでおきたかったんです。多くの病気は治療法が確立されているので、まずは診断がきちんとできることが大切になってきます。 その診断に関して、スピードを求められることもあります。 例えば外来の患者さんだったら落ち着いて話ができますし、患者さんも言いたいことが言える状況です。 これが救急ということになると、状況はがらりと違ってきます。急に運ばれてきて喋れない患者さんもいれば、パニックになってしまっている患者さんもいるわけです。でも時間は限られている。そのなかでいかに必要な情報をピックアップして、無駄な検査を省きつつ、適切な治療をするかが求められてきます。そこに私は仕事のやりがいを感じたといえますね。
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    飯塚病院の行きつけの居酒屋にて  
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    総合診療科時代、同僚のみなさんと

飯塚病院から東京ベイ浦安市川医療センターへ

― 飯塚病院にはどれくらいいらっしゃったのですか?

医師10年目までです。11年目から千葉県にある東京ベイ浦安市川医療センターに移りました。飯塚病院時代のことを振り返ると、 約20年前のことで、当時、総合診療科はいまほど知られていませんでした。ただ飯塚病院の総合診療科には、井村部長と4人の素晴らしい指導医:中村先生、清田先生、小田先生、吉野先生(当時は研修医たちから「井村先生とその四天王」と呼ばれていた)がいらっしゃり、「この人たちのもとで働きたい」と思ったことははっきり覚えています。毎朝行っていた教育カンファレンスがとても衝撃的だったんです。自分ではよくわからなかった症例を鮮やかに解説していくお話は刺激的でした。いわゆる臨床推論が、とてもロジックが明確で、本当に勉強になりました。私が臨床教育が好きになった原点はここにあります。「自分もこういう医師になりたい」と心から思いました。追いつくのは難しいな、とも思いましたが(笑)。

― 先生は消化器の専門医でもいらっしゃいますね。

実は初期研修のときから消化器メインのローテーションをさせてもらっていて、その一環で内視鏡検査も行っていました。内視鏡はスキルのひとつとして続けたいと思っていたのですが、それを飯塚病院の総合診療科の井村部長に伝えたら「じゃあ、どちらもできるコースを作ろうか」と言ってくださいました。それで総合診療科の消化器内視鏡コースというのを立ち上げさせてもらったんです。その際、コースを設計して病院の幹部会でプレゼンをさせていただいたのですが、本当に懐が深いというか、専攻医を終えたばかりの若手医師にそんなことをさせてくれる病院って、1000床規模の病院ではなかなか無いんじゃないかな、と(笑)。その意味では本当に私は環境に恵まれていたと思います。井村先生がよく「出る杭は引き抜け」とおっしゃっていました。出る杭を打つんじゃなくて引き抜こうとしてくれる。そういう風土に私は育てていただいたと思います。

― 東京ベイ浦安市川医療センターに移ったきっかけはなんだったのでしょう?

飯塚病院の最後の3〜4年、私は総合診療科の重症チームというところにいました。内科系の重症患者を専門に担当するチームなんですが、その一環で「FCCS(Fundamental Critical Care Support)」という 集中治療の基礎コースを学んだんです。このコースはアメリカの集中治療医学会が作ったものですが、これを日本に紹介したのが当時米国の臨床留学から帰ってこられたばかりの藤谷茂樹先生(現:聖マリアンナ医科大学教授)でした。その関係から藤谷先生とご縁ができました。
藤谷先生が飯塚病院に講演に来られた際に、「自分は病院で働く総合内科医になりたい。内科系疾患はすべて総合内科医が担当して、各専門医はコンサルテーションとして関わるようなシステムを作りたい」と申し上げたことがあります。先生からは「それはアメリカで普通に行われていることですよ」と言われ、東京ベイ浦安市川医療センター立ち上げの構想を話してくださいました(※東京ベイ浦安市川医療センターの総合内科はこのような北米型のシステムを採用している)。これがきっかけとなり、東京ベイ浦安市川医療センターの立ち上げに参加することになりました。
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「医療の標準化」を確立していきたい

― 東京ベイ浦安市川医療センターではどのような役割を果たされたのでしょう?

消化器内科医長と総合内科プログラムディレクターを兼任していました。総合内科プログラムディレクターは、研修プログラムを作る際のまとめ役という位置づけです。プログラム作成にあたって意識したのは「グローバルスタンダードの教育が受けられる病院」であることをしっかり伝えようということでした。患者さんに対してローカルルールではなく世界標準の治療を提供できる病院で、ここで3年間学べばどこに行っても恥ずかしくない医師になれますよというところを目指していました。
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    ハワイ大学 office medical education 留学時
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    ハワイ大学 医学教育コース終了認定式 指導してくれたDr.Kasuya教授と

― 具体的にどのようなプログラムをディレクションされたのですか?

東京ベイ浦安市川医療センターでは、内科系に関しては入院は全て総合内科が主科となり、各専門科がコンサルタントとして関わるというスタイルでした。この場合、重要になってくるのは総合内科側としてはそれぞれの疾患の標準的なことをしっかりと理解しておくことです。そうでないと専門医の方々から安心して任せてもらえなくなりますからね。そこで、いろんな疾患の最新のガイドラインをきちんと勉強しましょうという方向に持っていきました。最先端ではなく、最新のスタンダードは何か、を意識し、みんながそれぞれ分担して毎朝カンファレンスで教えあうというやり方を取りました。

― 先生はPOCUS教育にも力を入れておられますね。

POCUS(Point of Care Ultrasound)というのは、 アメリカから広まったスクリーニング超音波検査法の一種で、ベッドサイドにおいて簡単な手順で行えるものです。日常の診療にすぐに活かせる方法ですが、基準が明確な点が大きな特長となっています。きちんとエビデンスがあり、明確な評価基準が設定されているので安心して使えるというわけですね。いわゆる超音波検査の標準化ですが、私は「医療の標準化」というものにとても興味をひかれているんです。POCUSをアメリカで学ぶことになったのは、2012年にSociety of Hospital medicineという米国の学会で、今のPOCUSの師匠であるSoni教授(Nilam J. Soni教授, University of Texas)に偶然お会いしたことがきっかけです。私はもともと超音波検査はやっていたのですが、日本では多くの医師が超音波検査を行うものの、専門医用の詳細な基準しかなく、非専門医向けの簡易的な基準がないことが、超音波検査の普及や質の標準化のハードルになっていると感じていました。POCUSはそれに対する明確な回答を示してくれました。これをぜひ日本に広めたいと思ったのがきっかけで、今の活動に繋がっています。Soni先生と、Soni先生が紹介してくださった南先生(南太郎准教授, Brown university)のお二人が、いずれも米国でのPOCUS教育を引っ張るリーダーだったことも大きく影響しています。本当に偶然の出会いから始まった日本でのPOCUS教育活動ですが、飯塚病院・東京ベイといい、POCUSといい、こうもうまく素晴らしい指導医に巡り合えるものかと思いました。この強運だけは自慢です。
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    POCUSコースでの指導
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    師匠のSoni先生・南先生と

― POCUSの教育活動は「診断をいかにスムーズに行うか」に重なってくるものですか?

そうなりますね。極端な話、標準化ができていれば誰が診ても同じ診断になってくるわけです。そうなると、その後の治療も迅速な対応ができるようになります。そういうことを体系的に確立していきたいという思いが私の中にあります。
私はこれまで本当に上司や環境に恵まれ、育てていただきました。飯塚病院や東京ベイに行かなくても、すべての若手医師がよい医学教育を受けられるようになるために、そして全国のどこに住んでいる患者さんでも安心して質の高い医療が受けられるようになるためにも、質の高い標準化された医療と医学教育を確立したい、その一助になりたいと思っています。そのためにも大学病院と市中病院の連携による、質の高い総合診療医の輩出ということにも取り組んでいきたい。今私は大学にいますが(東京医科歯科大学総合診療医学分野講師)、こちらに移ったのもそうした思いがあったからなんです。

― 体系的なものができると現場はよりスムーズになりますね

プライマリ・ケアの分野では、これまで諸先輩の先生方が培ってこられた多くの知見があります。この宝の山の多くはその場に居合わせた医師にしか共有されてない、とてももったいない状況が方々で起こっています。全国でプライマリ・ケアの成功パターンはいくつも生まれていると思うのですが、それが共有・標準化されていないから、一部でとどまってしまっている。私はプライマリ・ケアの分野は、もはやそういうフェーズにとどまっていてはいけないと思っています。それぞれの医療機関が頑張るフェーズから「集合知」としてシステム化していくフェーズにしていかなければならない。その流れを加速させていきたいというのが、いまの私の強い思いです。

プロフィール

東京医科歯科大学 総合診療科 講師
医師 山田 徹
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2003年     富山医科薬科大学医学部医学科 卒業
2003-2004年 富山医科薬科大学付属病院 研修医
2004-2006年 沼津市立病院 第一内科
2006-2013年 飯塚病院 総合診療科・消化器内視鏡コース
2013-2019年 東京ベイ浦安市川医療センター 総合内科・消化器内科
2019-現在   東京医科歯科大学 総合診療科講師

資格等
日本プライマリ・ケア連合学会 プライマリ・ケア指導医
日本内科学会 総合内科専門医・指導医
日本消化器内視鏡学会 消化器内視鏡専門医・指導医
日本消化器病学会 消化器病専門医
日本病院総合診療医学会 認定医・指導医

取材後記

「今の私の核となる部分を育ててくれたのは、飯塚病院だったと思っています」。インタビュー中、何度か山田先生の口からそんな言葉がこぼれた。愛着のある勤務先だっただけに、 福岡を離れるかどうかについてはかなり悩んだとのことだった。「そんな飯塚病院に恩返ししたいという思いは常に持ち続けて いますが、その頃お世話になった先生方からはこう言われているんです。〝恩を返す相手は私たちではなく、下の世代だよ〟と。優秀な医師を育てることが恩に報いることになると思いながら日々の仕事に取り組んでいます」。一人のスーパードクターもいいけど、普段から頼りにできる一定の質を備えた医師を数多く育てたほうが世の中のためになる……。山田先生の目指す「医療の標準化」は、そうした思いをベースにしている。山田先生の「恩返し」は総合診療全体の底上げにも通じるもの。今後のますますのご活躍に心から期待したい。

最終更新:2023年09月07日 21時11分

「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

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「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

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