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vol.22/「半世紀も前から〝地域に根ざした総合診療〟という未踏の地を切り拓いてきた先駆者」【医師】武地幹夫先生

まだ「総合診療」や「家庭医」「地域医療」という言葉がなかった時代から地域に根ざした医療のあり方を追求してきたのが、今回ご登場いただく武地幹夫先生です。「医療と保健、福祉の連携があってこそ総合診療は実現できる」と断言する武地先生。長年の経験に裏打ちされたそのお話は示唆に富み、多くのヒントを得られるはずです。
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医学部在学中に医者としての自分のあり方を見つけた

― 先生はいつ頃から医師を目指し始めたのですか?

物心ついたときには「医師になる」と思っていました。これは実は父親による「刷り込み」なんです(笑)。というのも、私の祖父が若い頃に医師を目指していたのですが、その夢は果たせませんでした。父としては自分の父親の夢を息子に託したかったんでしょうね。また、父親は自営業者だったこともあり、息子には安定した職に就かせたかったようです。医師なら社会への貢献度も高いので「お前は医者になるんだぞ」と小さい頃から言われ続けてきたというわけです。

― 途中で悩んだり迷ったりはしなかったんでしょうか?

なかったですね。自分は医学部に進むものだと思っていましたから。ただ、入学してからは壁にぶつかりました。その壁というのは「自分はどんな医師になるべきなのか」。その問いに対する答が自分のなかにはなかった。これに関してはずいぶん悩みましたね。我々の世代は(武地先生は1959年生まれ)大学に入ること自体を目的とする傾向がありました。医学部に限ることではなく、全体的にそうだったんです。だから大学に入ってから自分の進むべき道に悩む人は多かったと言えます。

― 先生の場合、どのようにして進むべき道を見つけたんですか?

在学中に入っていたサークル「社会医学研究部」での活動が医師としての方向性を決定づけてくれました。いまもこのサークルは活動していて、名称は「地域医療研究部」となっています。当時の活動内容としては大学の近隣にある農村部に出かけて行って健康診断に基づく生活実態調査や住民の方々への健康教育、生活改善の取り組みなどがあげられます。いま考えれば地域医療の原点とも言える活動ですね。半世紀近く前のことなので「総合診療」や「地域医療」という言葉はまだなかったのですが。

― それだけに理解されにくかったのではないでしょうか?

まさにその通りで、当時は専門医となって自身の専門分野を追求するべきという風潮がかなり強かったんですね。いまもその風潮は残っているかも知れませんが、あの頃は地域に根ざした総合医療への理解が薄かったと言わざるを得ません。学ぶ環境もなければ実践する場も少ないという状況ですね。サークルの社会医学研究部自体が存続の危機にさらされたこともあります。そこでまずは「仲間づくり」をしようと思いました。具体的には大学院生時代に「社会学研究室」に在籍し、学生たちのフィールドワークのサポートをするようになったんです。この社会学研究室は農村特有の疾病や衛生問題を取り扱う農村医学を研究対象としていたところです。学生たちのサポートを通して人脈を構築していこうとの思いがありました。

― 先生ご自身も農村でのフィールドワークは経験したわけですからね。

社会医学研究部で農村部の調査をしたときに「医者にはかかりたいけど、それができない」現実があることを知りました。仕事が忙しくて病院に行けない人もいれば、経済的な事情から受診できない人もいました。そうした現実をどのように解決していけばいいのか、といったことも考えるようになりましたね。ちょうどその時期に読んだ本が菊地武雄さんの『自分たちで生命を守った村』(岩波新書)と稲葉峯雄さんの『草の根に生きる——愛媛の農村からの報告』(同)です。どちらも農村と医療との関係について書かれたものですが、この二冊は私にとってバイブルのようなものになりました。
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医療・保健・福祉の連携で総合的な地域ケアを

― 現在の江尾診療所に赴任した経緯をお聞かせ下さい。

ここに来る前にいくつかの病院を経験しました。久留米市の病院では6年ほど過ごしましたが、ここは経営側が「地域に根ざした活動がしたい」という志を持っていたこともあり、私自身の思いとも合致していると考えたので赴任しました。社会医学研究部の先輩と後輩、そして私の3人で行きましたね。その後、熊本市の病院で働くことになり、2年ほどしてから「鳥取県江府町の診療所が医師を探しているけど、どうだろう?」という声がかかったんです。声をかけてくれたのは大学院時代社会学研究室の先輩でした。「そこなら君が取り組みたかった地域医療ができるし、後進を育てる環境づくりもできるよ」と言われて引き受けることにしました。その診療所がいまの江尾診療所ですね。

― 1997年のことですね。当時の思い出としては?

いまでこそ総合健康福祉センターという立派な建物のなかにありますが、私が赴任した当初は木造平屋建てでした。しかも雨が二日続けば雨漏りするような古い診療所でしたね。トイレは汲み取り式で、スタッフは事務員1人に看護師1人です。当時、私は37歳。医師として新たなスタートを迎えたわけですが、その晴れ舞台が雨漏りの診療所になったわけです(笑)。普通なら悲観するところかも知れません。でも、そのときの私は喜びがいっぱいで、バラ色の未来を思い描いていたんです。なにしろ自分が追い求めてきた医療ができるわけですからね。それに医学生たちにフィールドの提供をして学びの場を与えることができる。こんなにワクワクすることはありません。
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    かつての診療所
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― 理想の環境を手に入れたことで特に心がけたことはありますか?

地域の人たちからの信頼を得ることを最優先にしました。実は、私が来る以前に赴任していた医師たちは1〜2年で辞めていくケースがほとんどだったようです。そういうこともあって住民の人たちは「今度新しく武地という医者が来たらしいけど、どうせまたすぐに辞めるよ」という目で見ていたようですね。「すぐにいなくなる」と思っている医師に心を開く患者さんはいません。当然、かかりつけ医にもなれない。だからまずは信頼を得なければならないと思ったわけです。丁寧で親切、そしてレベルの高い医療を心がけました。その結果として患者さんがじわじわと増えていったわけです。
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― 先生の真摯な姿勢が伝わったことになりますね。

とは言え、私が取り組みたかったのは医療だけではなかったんです。こちらに赴任するときに町長に条件として出したのは「医療・保健・福祉の連携を図りながら総合的な地域ケアを展開していきたい。それを統括できる立場を与えてほしい」というものでした。全体をコーディネイトしたかったわけですね。町長は「それはいいことです」と言ってくれましたが、実務を担当している人たちからすれば「どこの馬の骨とも知れない者が何を言ってるんだ?」となるわけです。それも無理のないことだと思います。だから、そういう人たちからも信頼されるように心がけました。そうこうするうちに赴任して5年目で福祉保健課の課長補佐というポジションを手に入れることができました。このことで医療・保健・福祉の連携が図れるようになったんです。

― 課長補佐になる以前はやはり連携は難しかったんですね。

例えば病気の予防活動の企画があるとします。その企画内容は私のところにはまわってこないんですね。報告もなければ相談もない。「どうしてだろう?」と首を傾げていたら、ある人から「それが組織というものだ」と教えられました。福祉保健課の業務に関することを、別の部署である診療所の所長に報告する義務はないということなんですね。言われてみて「なるほど、そうか」と(笑)。それが組織というものなんですね。実際、私が課長補佐になってからは報告も相談もまわってくるようになりました。それでずいぶん連携に弾みがついたと言えます。

人を見る、暮らしを見る、地域を見る。それが「総合診療」

― 医療・保健・福祉の連携に関してどのような取り組みをしたのですか?

主に「予防」に取り組みました。具体的には「誤嚥性肺炎」「脳卒中(高血圧対策)」「糖尿病」ですね。予防のために行った例としては「家庭血圧測定」の推進があげられます。住民のみなさんに毎日自宅で血圧を測ることを推奨しました。もともとこの地域は味付けが濃く、糖質を多く摂る割にはたんぱく質の摂取が少ないという食生活を送っていました。また、過酷な自然環境下での農作業という要因も絡んできて脳卒中で倒れる人が少なくなかったんですね。血圧を測ることで生活スタイルと血圧との関連性を意識づけし、改善につなげてもらうというのが家庭血圧測定の目的でした。実際この取り組みを始めてから脳卒中になる人は半減しました。
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― 後進の育成に関してはいかがでしょうか?

2019年に「俣野ふれ愛学舎」を開設しました。廃校になった小学校の校舎を改修したもので診療所や会議室、宿泊室、休憩室、シャワー室などを併設しています。学生たちが寝泊まりしながらともに学び、地域の人たちと交流を図れる拠点として機能しています。鳥取大学医学部の地域医療研究部の学生たちが主に活用してくれていますね。それ以前から地域の健康教育に関連づけて学生たちの学びの環境は整えてきたつもりです。健康教育というのはエリア内にある40の集落に出張講座をするというもので、すでに20年以上の歴史を持ちます。「健康なくして地域の活性化なし。地域の活性化なくして健康なし」を合言葉に健康と地域活性化を結びつける取り組みも進めてきました。その取り組みに医学部の学生たちが参加できる体制も同時に整えてきたんです。学生側から地域活性化の提案をする機会も設けています。
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    「俣野ふれ愛学舎」のある旧小学校舎
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― 最後に地域に根ざした総合診療医としての活躍を目指す人たちへメッセージをお願いします。

総合診療で大切なことは医療技術よりも「人を見ること」です。
その人を見て、その人の暮らしを見て、さらにその人が暮らす地域を見る。その視点をぜひ大切にしてほしいと思います。また、行政と力を合わせることも意識してもらいたいですね。と言うのも、患者さんのなかには経済的な事情をはじめとして診療所に来られなくなる人も出てきて、その人たちのフォローは行政との連携がなければ難しくなってくるからです。そういう人たちが受診できる仕組みづくりも必要ですし、福祉分野との連携も欠かせません。高齢化が進む地域においては医療だけでは解決できない課題があることをしっかり意識した上で地域の人たちを守る取り組みを考えていってほしいと思います。

プロフィール

1984年 鳥取大学医学部医学科卒業
  同年 鳥取大学大学院医学系研究科医学専攻入学
1988年 医学博士取得
1989年 松江赤十字病院内科勤務
1990年 財団法人白鳩病院内科勤務
1995年 社会医療法人社団高野会大腸肛門病センター高野病院内科勤務
1997年 江府町国民健康保険江尾診療所所長
2002年 江府町福祉保健課課長補佐(兼務)
2005年 鳥取大学医学部臨床教授
2011年 江府町福祉保健課参事(兼務)

専門:プライマリ・ケア/消化器病/消化器内視鏡

資格等:日本内科学会認定医/日本プライマリ・ケア連合学会認定医・指導医/日本消化器がん検診学会/日本消化器学会専門医/日本消化器内視鏡学会専門医

取材後記

「いまは総合医療のプログラムもさまざまに用意されていて、効率的かつスピーディーに学べるようになっています。私たちの時代は言ってみれば飛行機や新幹線のない時代に旅をするようなもので、やたらと時間がかかりました」とインタビューの最後に述懐するように語った武地先生。1997年の赴任以来、約30年にわたって江尾診療所の所長を務めてきた先生だが、総合診療科がまだ存在せず、専門医至上主義とも言える時代に僻地医療を真剣に考えてきたことは本文でふれた通り。その歩みを例えるなら、荒れ地をコツコツと耕して沃野に変えていくようなものだったのかも知れない。「何もかもが手探り状態でしたが、自分の理想とする環境はそれなりに整えることができたと思います。もちろん、これからもがんばっていきますが」。武地先生のさらなる活躍に心からエールを送りたい。

最終更新:2023年08月02日 20時21分

「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

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「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

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