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vol.29/「石垣島唯一の基幹病院で、治療から後進の育成まで多彩な活動を繰り広げる〝離島の医師〟」【医師】酒井達也先生

石垣島の沖縄県立八重山病院で総合診療医として活躍している酒井達也先生は、高校進学を機に単身で大阪から沖縄に移住したというユニークな経歴の持ち主です。その沖縄で医師を目指し、さらに離島の医師としてキャリアを積んできた先生は、離島医療を実践的に学べるプログラムの立ち上げにも関わっています。そんな酒井先生に離島で働く医師としての思いをさまざまに語っていただきました。
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沖縄へのあこがれから高校進学時に単身移住

— 酒井先生が医師になろうと思ったきっかけから教えていただけますか?

私はもともと大阪の出身なのですが、中学校を卒業した後は、沖縄の高校に進学しました。沖縄への強い憧れがあったので両親に申し出てみたところ「いいよ。行ってきなさい」ということになって単身で移住したんです。
その高校は医学部を目指す生徒が多かったこともあり、私自身も進路を考える際に自然に医学部を意識するようになりました。また、沖縄には離島がたくさんあるのですが、離島医療を通して沖縄の人たちの役に立っていきたいとの思いもあって本格的に医学部を目指すようになったわけです。
進学したのは自治医科大学です。子どもが好きだったため、在学中はずっと小児科医を目指していて、実習でまわっている時もその気持ちがブレることはありませんでした。ところが卒業後の研修時代に、その気持ちが揺らぐ出来事があったんです(笑)。

— 研修は沖縄県立中部病院で受けられたとのことですね。

はい。初期研修・後期研修ともに沖縄県立中部病院で受けましたが、その時の指導医の先生との出会いが転機になりました。その先生は総合内科の新患外来を担当していて、臨床推論に熱心に取り組んでいました。問診と身体診察を重視し、患者さんの症状だけではなく家族や生活背景まで把握した上で診療を考えていくスタイルに、大きなインパクトを受けたのです。「こういうやり方もあるのか!」と目を見張る思いでした。
1970年代に精神科医のジョージ・エンゲルが「BPS (Bio-Psycho-Social)モデル」を提唱しました。病気を生物学的(Bio)にとらえるだけではなく、心理的(Psycho)、社会的(Social)の観点からも見つめた上で、より適切な治療を目指すという考えです。いわゆる「全人的医療」ですね。私自身、外来での経験を重ねていくにつれ、BPSのBだけでは患者さんの満足を得られないことを痛感していましたから、指導医の先生が手がける「全人的医療」をしっかり学びたいと思いました。それでプライマリ・ケアの世界にのめり込んでいったということになります。

離島の診療所で実感した暮らしと医療の関係

— 卒業後4年目に離島診療所に赴任されたとのことですが?

沖縄の座間味村に阿嘉(あか)島という人口300人足らずの島があって、その阿嘉診療所に赴任しました。私は自治医大出身ですから地元の僻地医療に従事する義務がありました。私の場合、「地元」は出身高校のある地域だったので、大阪ではなく沖縄になったわけです。
阿嘉診療所は医師1人・看護師1人というまさに「ザ・地域医療」の世界でした。ここには2年間いたのですが、大変貴重な経験をさせてもらったと思っています。2年間の赴任期間のうち、心肺停止・溺水・心筋梗塞・高エネルギー外傷などそれなりに重症患者を診ることができました。医師1人で対応しないといけない怖さもありましたが、重症対応ならではのやりがいも感じていました。
また、小さな島なので、患者さんたちの生活状況が自然に把握できたことも経験としては大きかったですね。暮らしの文化が病気に関わっていることも実感できました。例えば沖縄では先祖崇拝が強く、旧盆の行事を大切にする風土が残っています。旧盆の間はお供え物を絶やしませんし、そのお供え物を捨てるのはもったいないからと食べるわけです。なかには糖尿病を患っている人もいて、この時期はみんな血糖値が上がってしまいます。そういうことが見えてくると、生活のことをひっくるめて医療を考えていかなければならないことがおのずとわかってくるんですね。
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もう一つ例をあげると、阿嘉島は人気のダイビングスポットでもあり、多くのダイバーが島を訪れます。ダイビングショップもたくさんあって、夏が一番の稼ぎ時なんです。だから夏に入院するような病気になるわけにはいかない。なったとしても「何とか入院せずに治せないか」という話になってくる。「入院して病気は治りました。でも生活ができなくなりました」では困るというわけです。

— 阿嘉診療所の勤務を終えた後に八重山病院に赴任したのですか?

阿嘉診療所の後は、1年だけ県立中部病院に戻りました。そこで研修時にお世話になった指導医の先生から「病棟管理も経験しておいた方がいい」とアドバイスをいただき、ちょうど人手を求めていた八重山病院に勤務することにしました。
八重山病院への赴任を決めた理由はもう1つあります。この病院は石垣島にあるのですが、ちょうど中部病院にいる時に石垣島出身の医学部生と話をする機会があったんです。彼は「石垣は離島なので、数年単位で医師の顔ぶれが変わってしまう。そういう不安定な状況をなんとかしたい」と言っていました。「こういう熱意を持つ学生さんがいるんだな」とうれしくなり、だったら彼が石垣に戻ってきた時に、何かバトンを繋げられるようなことをしようとの思いもあって、赴任を決めたわけです。

総合診療専門研究プログラム「南ぬ島(ぱいぬしま)」

— 八重山病院での勤務はいかがですか?

八重山病院が立地する八重山地方は石垣島をはじめとして周辺に有人離島が8ヵ所あり、約5万人が住んでいます。ちなみに、世界遺産登録された西表島もこの八重山地方にあります。八重山病院はこの地域唯一の総合病院で、ありとあらゆる患者さんが紹介されてきます。また周辺離島から急患搬送の場合は八重山病院の医師が海上保安庁のヘリコプターに乗って患者さんを迎えにいきます。言ってみれば離島が離島を支えている環境ですね。

病院総合診療医として私が手がけている業務ですが、ざっとあげると新患外来・定期外来・病棟管理(一般病棟から集中治療まで)・内科当直・看取りを主とした訪問診療・COVID-19病棟管理・離島診療所代診・無医島への巡回診療・ヘリ当番・研修医教育・緩和ケアチーム・地域連携室室長といったものがあります。業務内容が多いと驚かれるかも知れませんが、同僚とみんなで分担していますので定時には帰宅できて家族との時間もしっかり確保しています(笑)。
6年前の赴任時は総合診療科の担当は私だけだったんですが、いまは専攻医を含めて13名まで増えています。「離島の医師」というとなり手がいないとのイメージを持たれがちですが、石垣島に限ってそれはないようですね(笑)。おそらく「石垣島」というブランドも影響しているとは思いますが、潜在的に「一度は離島で働いてみたい」と考える医師は多いようです。
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— 今後力を入れていきたい取り組みはありますか?

八重山病院では、2022年から総合診療専門研究プログラム「南ぬ島(ぱいぬしま)」をスタートさせました。これは八重山病院を主体としたプログラムで、内科や救急、小児科等の研修を2年間受けた後、残り1年は沖縄県内にある16カ所の小規模離島の診療所等で単独診療を行うというものです。このプログラムに人が集まってきてくれているので、長期的なビジョンとしては、プログラムの効果の検証やそれを踏まえた上での内容のブラッシュアップを取り組みとして考えています。
また、その一方で、看護師さんをはじめとするコメディカルの人たちの教育にも携わりながら、病院全体の質を上げていきたいとの思いもあります。八重山病院は島の唯一の基幹病院ですから、自分たちの医療レベルがイコール島の医療水準となります。住民の方々の安心のためにもレベルは上げ続けていかなければならないと思っています。
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— 最後に離島で総合診療医として働く喜びを教えてください。

個人的には3つあると思っています。1つ目は「多彩な症例と幅広い診療の場を経験できること」ですね。私の場合は内科系の業務が多いのですが、年中幅広い症例を経験することができます。また、八重山病院は唯一の基幹病院であることから興味深い症例もたくさん集まってきます。また重症から看取り、診療所応援まで幅広い診療の場を日々実践し充実しております。
2つ目は「自分がやってみたいことにチャレンジできる環境」です。例えば、ヘルスケアシステムの向上。現状ではその部分に寄与する人材が少ないこともあり、若い医師でも気軽にヘルスケアシステムに挑戦することができます。さまざまなことを計画し実践し、よりよいシステムを作り上げていく面白さを実感できる環境が離島にはあると思います
最後の3つ目はなんといっても「豊かな自然環境」です。時に多忙なこともありますが、当直明けに車で5分も走ればとてもきれいな海がすぐに見える環境です。疲れも一気に吹き飛びます。週末には西表島や竹富島といった離島にも行くことができます。ゆっくりとした時間が流れる島で心身ともに癒されています。
以前は離島という立地はハンディだったかもしれませんが、コロナ禍の影響もあって最近はオンラインで開催されるセミナーも増え、離島でも勉強ができる環境が整ってきました。離島に住みながら全国各地の病院総合診療医とつながっていくことも難しくありません。立地的なハンディが小さくなったぶん、医師として成長しやすくプライベート的な面でも暮らしやすい離島は大いに魅力のあるところだと言っていいのではないでしょうか。
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プロフィール

沖縄県立八重山病院
医師 酒井達也

大阪府吹田市生まれ
2012年 自治医科大学卒

2012年‐2014年 沖縄県立中部病院 初期研修
20014年-2015年 沖縄県立中部病院 後期研修
2015年‐2017年 沖縄県立南部医療センターこども医療センター附属阿嘉診療所
2017年‐2018年 沖縄県立中部病院
2018年- 現職 沖縄県立八重山病院 総合診療科

資格等:
日本プライマリ・ケア連合学会認定 家庭医療専門医・指導医
日本病院総合診療学会認定医 指導医
総合診療専門研修特任指導医

取材後記

インタビューの中で出てきた総合診療専門研究プログラム「南ぬ島」は、日本プライマリ・ケア連合学会の認定プログラムにもなっている。このプログラムに関して指導員の確保や教育体制の構築などに力を注いできたのが酒井先生だ。「自分たちの医療レベルが島の医療水準」と考える酒井先生にとって、若手医師たちが実践的に成長できる教育環境の整備は重要な使命だったに違いない。プログラムを受ける専攻医は沖縄県内外から集まっているとのことで、離島医療への関心の高さがうかがえる。「いろんなことにチャレンジできて、医師として成長する機会が多いことも離島の魅力」と語ってくれた酒井先生。その思いに共感を覚える若き人材たちは決して少なくないはずだ。酒井先生には、ぜひ今後も新しい風を巻き起こしていただきたい。

最終更新:2024年01月30日 11時52分

「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

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