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Dr.藤沼の読書ノート/吉田尚記著『なぜ,この人と話をすると楽になるのか』

プライマリ・ケア医とは、コミュニケーション量が相当多い仕事であるといっていい。ところで、医師の間では、コミュニケーションが効果的、効率的に情報を伝達しあう道具あるいは媒体とみなされることが多く、患者からは診療に必要な情報を必ず引き出すことができるという前提に無意識に立っていることが多い。

しかし、構成主義的なコミュニケーション論の観点からみると、正確に意味内容が伝わるコミュニケーションというのは基本的に不可能であるという前提に、まず立つことが必要となる。たとえば、発信する側が意図しなくても、何かが伝わってしまい、コミュニケーションが成立してしまう不可避性や、意味とメッセージの関係が恣意的であるということを前提にするということである。

本書の出発点は、医学教育で重視される医療面接、メディカルインタビューからイメージする情報媒体としてのコミュニケーションとは違った地平のコミュニケーション観である。というのは、著者は、そもそもコミュニケーションの目的は、楽しくなるため、うれしさや喜びを体感したいというところに本質があるという。コミュニケーションはよいコミュニケーションを成立させるために行うということ、いわばそのためのゲームであるとしている。そして、ダンバー数(人間が意味のある関係を築ける最大数、おそらく150人程度)で有名なロビン・ダンバーを引用しながら、猿が毛づくろいという気持ちのよい行為により集団形成をしていったが、人間は毛づくろいの代わりにコミュニケーションを発明したといっている。つまりそもそもコミュニケーションとは意味のある社会=人間集団をまとめるためのものだったとされる。

そして、次のように述べる。

 「いちばん気持ちいい、毛繕い的な会話とは何か?もう答えは出ているようなものですね。ムダ話、雑談、バカ話、そういう類のコミュニケーションだったんです」

こうした観点は非常に重要だと思う。コミュニケーションは必ずしも言葉によるものだけではない。たとえば、子どものころ友達が家に遊びにきて、それぞれが別のマンガを寝そべって読んで、かっぱえびせんを一つの袋から二人でつまみながら、だまってマンガを読み続け、2時間くらいたって「夕飯だから帰るね〜」といって友達が帰っていくっていうような経験は誰でもあると思うが、この2時間は気持ちがよい、充実した時間だったのではないだろうか。おそらくこうした友達との沈黙の時間は、それ以前のどうでもいい世間話の継続がその基礎になっているのである。
さて、医療や介護などの現場ではどうだろうか、意味のある会話を追求しなければならないというプレッシャーのなかで、毛づくろい的なコミュニケーションはどこにあるだろうか。

たとえば20年近くみている、比較的安定した患者さんとの定期診察での、
 「どうですか?」
 「かわりないです〜」
 「いつものくすりでいいかな?」
 「はい」
 「じゃ、またね」
といった儀式的なやりとりにおいては、お互いに長いつきあいのなかで、到達した沈黙がそこにあるといえるだろう。これは意味のある医療面接や、インフォームド・コンセントの結果生まれたというよりも、「ムダなゴシップを延々やりとりしなければ絶対にたどり着けない場所、それが沈黙です」と著者が述べているように、いわば毛づくろい的なコミュニケーションの蓄積の結果ではなかろうか。

著者の吉田尚記氏は、ニッポン放送の人気アナウンサーであり、現代の若者のラジオ人気の復活に一役かっているのだが、彼は自分自身を「もともとコミュニケーション障害」があるともいっていて、自身が生活や仕事のなかで獲得してきたコミュニケーションに必要なスキルをていねいに解説している。たとえば、「相手のことは完璧には理解できない、誤解ウェルカムでいこう」、「ふだんの会話から、「嫌い」、「違う」の単語だけ外すように心懸けてみてください」、「「ホメる」、「驚く」、「おもしろがる」は、コミュニケーションの技術を考えるうえですごく重要な三大テーマと言っていいと思う」といったフレーズは、著者が意図しなかったであろう医療や介護現場でのさまざまな文脈で有用だと思われる。

プロフィール

藤沼 康樹
医療福祉生協連家庭医療学開発センター

最終更新:2025年01月08日 00時00分

実践誌編集委員会

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