ホームニュースプライマリ・ケア Field LIVE!Vol.05/ 「 “医療の谷間に灯をともす” 自治医大を卒業。総合医・救急医・教育者として八面六臂の活躍!」【医師】宮道亮輔先生

ニュース

プライマリ・ケア Field LIVE!

Vol.05/ 「 “医療の谷間に灯をともす” 自治医大を卒業。総合医・救急医・教育者として八面六臂の活躍!」【医師】宮道亮輔先生

医療に恵まれないへき地等における医療の確保や向上、地域に住む方々の福祉の増進を図るために全国の都道府県が共同で設立した自治医科大学。同学を卒業後、約10年間にわたってへき地医療に取り組んできたのが宮道亮輔先生です。宮道先生は現在、現役医師として医療に従事する一方、教育者として後進の育成にも努めています。その宮道先生にこれまでの取り組みやプライマリ・ケアに対する思いなどについてお話を伺いました。

へき地医療の課題に取り組む自治医大へと進学

  • https://www.primarycare-japan.com/pics/news/news-252-1.jpg

— 先生が医師を志した理由は?

小学生の頃は大蔵省(当時)で働こうと思っていたんですよ。理由は単純で、国家公務員になったら、どうやら親が安心するらしいと子ども心に考えたからです。その後、アナウンサーにも憧れました。でも、アナウンサーになるためにはどこの大学の何学部に行けばいいかわからないので、なんとなくうやむやになりました。
ただ、それをきっかけに将来のことを考えるようになり、せっかくなら人に感謝される仕事がしたいと思うように。
そこで思い当たったのが医者です!医者ならどこの学部に行けばいいかもハッキリしていますしね。

― そして自治医科大学に進学されたんですね

そうです。自治医科大学は、自分の出身県のへき地に医師を送り込むことを目的に設立された大学です。私は身近に医療従事者がいなくて、医師と言えば診療所のお医者さんというイメージしかありませんでした。センター試験に失敗して地元大学への進学が怪くなったこともあり、特に違和感なく入学しました。だから私自身も将来的にはへき地医療やプリマリ・ケアを行おうと考えていました。
学生のうちから志望科を決めている友人もいましたが、総合診療を希望する学生はそれほど多くなかったんです。それなら、自分がやってやろうと思ったのも「プライマリ・ケアの道」に進むきっかけでした。あと、特に一生を捧げるほど興味を持った臓器がなかったことも理由としてあげられます。特定の臓器に取り組んでみたいというよりは、人間全体を診る方が面白いと思いました。

― 卒業後は岡崎市民病院に研修医として勤務されたんですよね

そうです。大河ドラマで取り上げられている愛知県岡崎市です。私は救急医としても活動していますが、そのきっかけはこの研修医時代でした。
当時研修医は病棟管理の補助や手術の助手等が主な業務で、外来を自分で行う機会はほとんどなかったんです。外来で診断がついていない患者さんを診るにはそれなりの経験が必要ですし、研修医はまだそこまでのレベルではないというのが理由だと思っています。
ただ、救急外来では研修医も診断や治療に主体的に携わることができたんです。もちろん上の先生もいましたが、救急患者さんがたくさん来る病院だったので、研修医も重要な戦力として動けるのが救急外来でした。

― 確かにそうですね。それで先生は救急外来に積極的に関わられた?

その通りです。救急外来は能動的に動けるので、経験が積めると思いました。それと前後して、周囲に薦められてICLSやBTLSといったシミュレーションコースを受講する機会があり、インストラクターの資格も得ました。
ICLSコースは医療従事者のためのトレーニングのことで「突然の心停止に対する最初の10分間の対応と適切なチーム蘇生」の習得が目的。実技実習を中心としたコースを通して学ぶことができます。一方のBTLSコースは外傷患者さんの病院前の救命率を高めるための方法。生命に危険の兆候を現場で素早く確認し、高度医療施設に搬送する方法のトレーニングです。
最初はあまり興味があったわけではないのですが、インストラクターの資格を得たことでいろいろな病院でコース開催のお手伝いをするようになり、ICLSでは日本救急医学会の委員会の委員を務めたりもしました。その中で名古屋大学の先生とも知り合いました。その先生から「うちで勉強しない?」と誘われ、2007年に医学系研究科 機能構築医学専攻 生体管理医学講座 救急・集中治療医学で学ぶことになりました。

自分のなかで救急医と総合医は無理なく両立するもの

― 大学院に入学する前に、2つの医療機関で勤務経験がおありですね

初期研修を終えて自治医大卒業生の義務であるへき地勤務として赴任したのが、額田町国民健康保険宮崎診療所(現:岡崎市額田宮崎診療所)でした。卒後3年目で所長として赴任し、総合医として治療に当たりました。
当時の思い出として強く印象に残っているのは、剣道着を着たまま患者さんに付き添って救急車に乗ったことです。
どういうことかと言いますと、私は学生時代から剣道をしていて、地域に慣れることもあって額田町の道場に通うことにしたんです。ちょうど稽古中に地域の人から「うちのおじいさんが頭が痛いと言っている。先生、診てくれませんか」と連絡がありました。その方のお孫さんが剣道をやっていたこともあり、着替えをする時間も惜しんでご自宅まで様子を見に行きました。これは詳しく調べたほうがいいと思って救急車を呼び、そのまま同乗して搬送したというわけです。搬送先が研修医として勤務していた岡崎市民病院だったので、顔見知りのスタッフに「先生、その格好どうしたんですか!」と目を丸くされたことを覚えています。
  • https://www.primarycare-japan.com/pics/news/news-252-4.jpg
    額田町国民健康保険宮崎診療所時代の宮道先生

― いかにも地域に溶け込んだお医者さんらしいエピソードです。その後、その岡崎市民病院の救命救急科と総合内科へ?

自分が一番お役に立てるのが救急だろうと思って救急医として働くことにしたのですが、病院から総合内科も担当してほしいと言われました。もしかすると総合医と救急医を兼ねることに違和感を覚える人もいるかもしれません。でも私にとって両者は別物ではなく、無理なく立ち並ぶものなんです。私は「救急の得意な総合医」という立ち位置で働いていると考えています。総合医というと慢性期医療をイメージしがちですが、急性期医療の知識も必要です。逆に急性期においても慢性期の知識を活用することも重要です。どちらも診断がついていない患者さんという未分化な健康問題を扱いますし、疾患だけでなく生活が困難で救急車を呼ぶ人もいます。「人を診る」という点で私には同じことなんです。

現役の医師として、また後進を育てる教育者として

― そして名古屋大学大学院に入学。一方で新城市民病院の総合診療科の医長も務めてらっしゃったとか

新城市民病院は内科が手薄だったので、県の指示で総合診療科を本格的に立ち上げるために後輩と一緒に赴任しました。ちょうどこの時期、慈恵医大でプライマリ・ケアの現場で働く臨床医のための研究者育成プログラムがスタートし、私も誘われて1期生として学ぶことになりました。このプログラムのおかげで臨床研究について深く知ることができ、学位論文を書きかげることができました。

自治医大の義務年限終了後は、へき地勤務を1年延長してから家庭の事情もあり関東に異動することになりました。
そこで、聖路加国際病院の救急部に勤務しました。これはへき地医療に従事していたため、自分の実力に不安を覚えたからというのが正直なところです。その不安とは「自分は標準的な医療が行えているのか?」というものでした。自分なりに文献等を読んで勉強をしているつもりでしたが、現場のたたき上げである自分の実力が外の世界で通用するか不安だったので、それを確かめるために、きちんとした病院で働いてみようと思い、部長(現院長)が知り合いだったこともあり聖路加国際病院で働いてみることにしました。

― 働いてみていかがでしたか?

不安は杞憂だったということが分かって安心しました。聖路加国際病院の救急部で3年間働いた後、大学の先輩に誘われて栃木県でクリニックのお手伝いをしました。そこは外来と訪問診療を行うクリニックで、総合医としての経験を役立てながら、在宅医療の経験を積みました。

そんな中、母校である自治医科大学の非常勤講師になりました。講師になった経緯ですが、卒業後も母校には勉強会などでちょくちょく呼ばれていたんです。しかし、卒業生とはいえ部外者なので建物に入るために必要なカードキーはもらえず、手続きで難渋していました。そのことを伝えたら、メディカルシミュレーションセンターの非常勤講師にしていただきカードキーをもらえました。医療におけるシミュレーションは、実践的な能力を高めるためにシミュレーターを使って診断や治療の手順を学んでもらうというものですね。ICLSなどのシミュレーションコースに慣れ親しんでいたので適任ではあると思うのですが、カードキーをもらうためになった非常勤講師だったのに、実習を受け持つことになったので少し損した気もしています。しかし、自治医科大学の卒業生はそれぞれ赴任した地域において、誰の力も借りずに一人で患者さんに対応していかなければならない局面が少なからずあります。そのため、学生時代から実践的な能力を養っておくことは重要ですので、後輩たちの教育に関われるは良いことだと思っています。
  • https://www.primarycare-japan.com/pics/news/news-252-7.jpg
    講師として後進の育成にも力を注いでいる
  • https://www.primarycare-japan.com/pics/news/news-252-8.jpg

特定の分野の100点ではなく、いろんな分野で60〜80点を

― 現在は東京慈恵会医科大学救急医学講座の医局長でらっしゃいますよね

はい。慈恵医大は「病気を診ずして病人を診よ」が理念なので、総合医としては働きやすい環境です。「情けは人のためならず」と言う諺がありますが、後進の人たちを育てて現場で活躍してもらえるようになると、私の負担も軽くなっていきます。それは医療の底上げにもつながっていきますよね。そういう気持ちを抱きながら、自分が楽をするために後進たちの育成に臨んでいます。
そのために熊本大学の大学院で教授システム学も学びました。教授システム学というのは学習効果の高い、効果的・効率的・魅力的な教材の設計・開発や実施等について学ぶものです。
  • https://www.primarycare-japan.com/pics/news/news-252-10.jpg
    東京慈恵会医科大学
  • https://www.primarycare-japan.com/pics/news/news-252-11.jpg
    慈恵ER入り口
  • https://www.primarycare-japan.com/pics/news/news-252-12.jpg
    東京慈恵会医科大学では救急医としても活躍

― 魅力的に学んでいける体系づくりですね

プライマリ・ケアの現場においてもそれは重要だと言っていいでしょうね。私が手探りで学んでいた当時よりも学びやすくなっているとは言え、まだまだ課題は少なくないと思います。
例えば、自治医大の出身者が卒業後にプライマリ・ケアに関する教育を受けやすいか?というと、必ずしもそうではないという状況も見られます。
私は「医療の谷間に灯をともす」という考えの大学を出たこともあり、医師として特定の分野で100点を目指すより、必要とされるさまざまな分野で60から80点が取れればいいと思っています。

― そうしたことも踏まえて最後にメッセージを。

例えば、プライマリ・ケアと高齢者によく見られるマルチモビディティ(多疾患併存)は密接な関係がありますが、こうした患者さんに対応するには特定の分野ではなく、幅広い分野に目配りした対応力が必要になってきます。必然的に学ぶことはたくさん出てきますし、それぞれの地域の医療の課題をカバーしながら、自分も変化していくことができます。

地域の中で求められる役割は様々です。その意味では、総合医のアイデンティティーは様々な役割を果たせるアメーバ的なものだと思っています。それは医師としてのいろいろな可能性も含んでいます。

自分がやりたいことは、人から言われなくてもやるじゃないですか。求められることをやっているうちに、やりたいことが見つかることもあると思います。一人ひとりの総合医が地域全体の底上げを目指して仕事に取り組んでいけば、プライマリ・ケアの未来は明るいと思います。今後は大病院でも、救急や総合診療などの横断的診療科の医師が院長になる例が増えてくると思いますよ。

プロフィール

東京慈恵会医科大学 救急医学講座 講師・医局長
自治医科大学メディカルシミュレーションセンター 非常勤講師
医師 宮道亮輔(みやみち・りょうすけ)

~プロフィール~
平成14年3月 自治医科大学 卒業
平成14年4月 岡崎市民病院 初期研修 
平成16年4月 額田町国民健康保険宮崎診療所 所長
平成19年4月 岡崎市民病院 総合内科/救命救急科
平成19年4月 名古屋大学大学院 入学
 医学系研究科 機能構築医学専攻 生体管理医学講座 救急・集中治療医学
平成21年4月 新城市民病院 総合診療科 医長
平成23年3月 名古屋大学大学院 修了
平成24年4月 聖路加国際病院 救急部 
平成27年7月 ハンディクリニック 副院長
平成30年4月 熊本大学大学院 入学 社会文化学教育部 教授システム学専攻
平成30年7月 自治医科大学 メディカルシミュレーションセンター 非常勤講師(現職)
令和元年9月 東京慈恵会医科大学 救急医学講座 助教
令和2年3月 熊本大学大学院 修了
令和2年4月 東京慈恵会医科大学 救急医学講座 講師
令和4年4月 東京慈恵会医科大学 救急医学講座 医局長(現職)

~学位・認定医など~
博士(医学)平成23年10月31日(名古屋大学)
修士(教授システム学)令和2年3月24日(熊本大学)
日本内科学会認定内科医、・総合内科専門医
日本プライマリ・ケア連合学会認定医・指導医
救急科専門医
臨床研修指導医
ケアマネジャー

取材後記

お話のなかでも先生が言及されていたが、総合医というとつい慢性期医療を連想しがちだ。しかし現実には急性期医療の知見が求められることも多く、患者さんの前出はどちらも等しく重要なスキルとなってくる。そうした考えのもと後進の育成にも努める宮道先生の姿勢からプライマリ・ケアの理想とする将来を感じ取ることができた。ぜひ、これからも多くの優れた人材の育成に取り組んでいっていただきたいとの思いが強い。

最終更新:2023年02月02日 18時55分

「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

記事の投稿者

「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

タイトルとURLをコピーする