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vol.37 /「地域医療を志しながら多様な経験を積み、家庭医として診療所開業を実現」【医師】國光克知先生

医学部在学中に家庭医療に強い関心を持ち、日本プライマリ・ケア連合学会の大会にも参加していたという國光先生。卒業後は総合診療・小児・救急・緩和ケア・在宅など、さまざまな領域で研鑽を重ねてきました。そんな國光先生に、これまでの歩みとこれからについてお話をうかがってみました。
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患者さんに寄り添うスタイルに惹かれて

― 先生はどういうきっかけで医師を目指すようになったのでしょうか?

最初のきっかけは中学生のときでした。私はサッカー部に所属していたのですが、あるとき同じ部活の友達が入院してしまったんです。病名は知らされなかったんですが、彼は名選手だったので、そのうち退院してまた一緒に試合に出られるだろうなと考えていました。
ところがしばらくして彼が亡くなったことを聞かされたんですね。「え? どういうこと?」と呆然としました。実は彼は急性白血病だったんです。このとき私が感じたのは「悔しさ」でした。あまりに理不尽な出来事に自分が何もできなかったことがとても悔しかったんです。このとき「医師になる」ということを漠然と意識し始めたのだと思います。

その思いが明確になったのは高校生のときです。母の親友に女医さんがいて、その人が住むドイツに会いに行ったことがあるんです。その女医さんは数年前にご主人を癌で亡くされていたんですが、治療にあたってはご主人にとことん寄り添ったケアを行ったそうなんです。例えば亡くなる前日の夜には2人でデュッセルドルフの街を散歩して、その後は好きなレコードを聴いてというように本人の好きなことを尊重していたとのことでした。それで本人は安らかに亡くなったそうで、その話を聞いて「医師って、そんな風に患者に寄り添ったケアもできるのか」と思い、自分もそういう医師になりたいと考えるようになりました。その女医さんにとってはご自身のご主人という特殊な例ではあるがゆえにそこまでやれたのでしょうけれど、それでもやはり「患者さんにとことん寄り添うことの大切さ」を私自身は感じました。

― プライマリ・ケアに興味を持たれたのは医学部在学中ですか?

大学3年生の時ですね。滋賀県にある「浅井東診療所」の所長を務めている家庭医の松井善典先生のレクチャーを受ける機会があったのですが、お話から先生に興味を持って診療所を見学させていただくようお願いしたんです。それで見学に行ったわけですが、そのときの経験が転機になりました。
診療所には松井先生のほかに宮地純一郎先生もおられ、このお二人の診療に強く惹かれました。お二人は私達のような医学生の教育にも熱心で、なおかつ地域に出て行って講演会をしたりもされていました。いろんなことにものすごく真剣に取り組んでいるその姿勢がロールモデルとして私の目に映ったといえます。
診療に際しても患者さんのことを中心に話を進めていくそのコミュニケーションの取り方が実に素晴らしくて、自分の進むべき道が見えた気がしたわけです。それまでは「家庭医」と言葉自体も知らなかったのですが。
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    恩師の救急医の先生と滋賀にて

「家庭医」に対しての確信を深めていった

― 家庭医になると決意されたのはいつ頃だったのでしょう?

決めたのは大学6年の夏でしたね。それまでは少し紆余曲折がありまして(笑)、実は松井先生や宮地先生との出会いがあってからも、家庭医というものに半信半疑だったんです。というのも私の在籍していた当時の京都府立医科大学では、プライマリ・ケアはかなりと言っていいほど少数派だったんですね。「プライマリ・ケア? 家庭医? よくわからないな」と言ったら言い過ぎかもしれませんが、感覚としてはそれに近い状態です。だから家庭医の診療を実際に目にして感銘を受けても「本当にこの選択でいいのかな?」という不安が残りました。周りからもそう言われましたしね。
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    母校で家庭医療学講義の際に同期と
その不安を払拭するために松井先生・宮地先生がもともといた北海道家庭医療学センターに見学にも行きました。年に3回か4回は行っていましたね。あと、日本プライマリ・ケア連合学会の大会にも参加するようにもなりました。そこで家庭医の先生たちを質問攻めにしてみたり、あえて内科医の先生たちに「家庭医の人たちってどう思います?」と聞いたりもしました。それを3年くらい続けるなかで家庭医に関して確信を強くしていったこともそうですが、実習で一通りの診療科で学ばせて頂いた後でも、結局1番しっくり来たのが家庭医療だったので、そこでようやく家庭医になろうと決めたわけです。

― 卒業後は帯広協会病院で初期研修を受けられました。

ちょうど帯広協会病院で総合診療科ができるタイミングだったんです。ここに北海道家庭医療学センターの医師が入り、新たな体制を立ち上げるということだったんですね。そういう機会は滅多にないので、いろいろな面で勉強になると思ってこの病院を選びました。
結果として、それはとてもいい経験になりました。同院には外科や内科をはじめとしてさまざまな診療科があるのですが、当初は多くの医師が総合診療科に対して懐疑的だったんです。「総合診療科はどんな患者さんも受け入れるって言うけど本当かな?」といった感じですね。「お手並み拝見」みたいなものです。それが時間が経つにつれて周囲の反応が変わっていきました。総合診療科ができたおかげで、自分たちの本来の仕事ができるようになったということで感謝されるようになっていったんです。
どういうことかと言うと、それまでは例えば循環器内科の先生が内科全般の患者さんを診るといったケースが多かったんです。外科にしてもそうですね。本来の自分の専門以外の患者さんでも内科や外科の範疇に入っていれば引き受けていたわけです。先生方はみんな責任感が強いのでそうされていたのですが、そこに総合診療科ができて、そういった患者さんたちを担当するようになった。そのことで内科や外科やそれ以外の先生たちも含めて、みなさんが本来の業務に集中できるようになりました。それが「ありがたい」という思いに変わっていったということです。そんな風に「総合診療科」が病院全体に受け入れられていく過程を見ることができたのは大きかったですね。
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    北海道で友人と

開業医となって京都の街を支えていきたい

― 先生は救急と緩和ケア、小児科も経験されています。

家庭医としてやっていくには、特に救急と緩和ケアの経験は積んでいたほうがいいと私は判断しました。家庭医はいろんな診療科の先生方に頼ったり、他職種との連携が求められる立ち位置ですが、救急と緩和ケアはスピーディーな対応が求められるので、ここはしっかりと押さえておきたいと考えました。
それまで医師として多くの患者さんたちに接するなかで「自分が救急医だったらより良いケアができたのだろうか?」と疑問に思う場面は何度かありましたし、それは緩和ケアにしても同じことです。自分の非力さに対する悔しさもあったと言えますね。そういうことで救急と緩和ケア、そして小児科も経験したわけですが、私にとってはすべて家庭医としての勉強の一環という風にとらえていました。
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    世界家庭医療学会(WONCA)

― 今年(2024年)、京都に診療所を開設されるとのことですが?

8月に訪問診療を主軸とする診療所を開設する予定で、医師は家庭医・総合診療科医の複数人体制で進めていこうと考えています。
開業に関しては初めにお話しした浅井東診療所や北海道家庭医学センターのイメージが原点としてあります。少人数で地域の医療に取り組んでいるスタイルですね。私が京都にいた当時、そうした家庭医が少ないという印象があって「だったらこの街でやってみよう」と思いました。開業の思いはその頃からあったわけです。

京都市は140万都市ですが、在宅ニーズに関して追いついていない状況がたくさんあって、家庭医としてできることが少なくないと考えています。もちろん実際に診療所を開設したら在宅ニーズよりも他のニーズのほうが高かったりする場合もあるので、そこは臨機応変に対応していこうとは思っています。ただ、どういうかたちであれ、家庭医として地域のニーズに答えていく姿勢は変わりませんし、そこは大切にしていくつもりです。家庭医同士の横のつながりも増やしていきながら、この街に貢献していければいいですね。
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    2024年に3人の同世代の医師で開業をする予定

プロフィール

京都府立医科大学 救急医療学教室 医員
医師 國光 克知
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<経歴>
平成28年3月 京都府立医科大学 医学部 卒
平成28年4月 北海道社会事業協会 帯広病院 臨床研修医
平成30年4月 北海道家庭医療学センター 総合診療 専門医コース
令和2年4月 京都府立医科大学 救急医療学教室
令和2年7月 湘南鎌倉総合病院 救急総合診療科
令和3年1月  川崎市立井田病院 緩和ケア内科
令和3年8月 よしき往診クリニック/音羽病院救急科
令和4年4月 帯広協会病院  総合診療科
令和4年4月京都府立医科大学 客員講師

取材後記

インタビューのなかでもあったように、今年(2024年)の夏、國光先生は開業医として京都市に診療所を開設する。その準備に追われているご多忙ななかでの取材へのご協力だった。先生が診療所を通して主に取り組んでいきたいことは「小児も急性期も関係なく患者を選ばない訪問診療」とのことだ。京都という都市部での在宅ニーズに応えていこうとする意欲がお話からはひしひしと伝わってきた。國光先生はまた「家庭医の仲間作りにも力を注いでいきたい」とも言っていた。そのことによって京都におけるプライマリ・ケアの存在感がさらに大きくなっていくことを願ってやまない。若き医師の挑戦をぜひ見守っていきたい。

最終更新:2024年07月22日 13時06分

「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

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