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vol.49/ 「あらゆる診療科をカバーできる総合診療医を目指す!」【医師・専攻医】波平郁実先生
今回お話を伺ったのは、専攻医3年目の波平郁実先生です。現在、総合診療専門研修プログラムの一環として西表島の診療所に所長として赴任し、島医者として島民の皆さんの健康を守っておられます。波平先生が総合診療医を目指すことになった経緯や、総合診療と離島医療に共通するやりがいなどを伺いました。
八重山病院での研修が転機となり総合診療の道へ
― 先生は何がきっかけで医師を目指すようになったのでしょう?
中学生の時に、アメリカの医療ドラマ『ドクター・ハウス』を夢中になって見たことがきっかけです。個性的な医師が主人公で、ありとあらゆる情報を集めて患者さんの病気の原因や問題を解明し、治療するプロセスが名探偵のようでした。その主人公のような医師に自分もなりたいと思うようになり、地元の大学(琉球大学)の医学部に進学しました。
― 総合診療との具体的な出会いはいつ頃ですか?
大学在学中は総合診療に関する講義や実習と接する機会がなかったため、本格的に関心を持ったのは大学卒業後です。初期研修で琉球大学病院と関連病院で研修を受け、場所や規模によって異なる病院の役割の違いや患者さんの違いをもっと学びたいと思うようになりました。そして、研修2年目に1カ月間の地域医療研修があり、その研修先が今、私が所属している八重山病院の総合診療チームです。これが私の進路を決定づけたといえます。
― 総合診療の研修で、どのような点に惹かれたのですか?
ひと言で言えば、「医師一人の役割が大きい」ということになるでしょうか。わずか1カ月の研修でしたが、それまでとは異なる手応えを感じました。大学病院は規模の大きな総合病院で病床数も医師の人数も多く、一人の医師の役割は良い意味で分業化され、特定の科や病棟を受け持つ医師としての役割を極めていく面白さがあるように感じました。一方、同じ総合病院でも八重山病院は中規模病院で総合診療チームの医師は一人で何役もこなさなければならない。その結果、様々な疾患を扱えるようになったり、患者さんと距離の近い関係性を築くことができたり、そういった点に惹かれました。幅広い診療科を網羅的に診ることができ、あらゆる患者さんに対応できる総合診療チームの先生たちはすごい、自分もそうなりたい!って。影響を受けた医療ドラマの主人公のように、様々なことを知っている医師になりたいという思いが総合診療につながっていったように感じています。
― 手応えを感じた出来事はありますか?
研修期間中に熱中症患者さんを対象としたプロトコールを作るお手伝いをしたところ、それが採用されて「研修医でも医療に貢献できるんだ」と嬉しく思ったことを覚えています。医師一人に任せてもらえる裁量が大きいということは、それだけ責任重大ですが、もっと様ざまな挑戦をしたいと思える、いい経験になりました。ちなみに、そのプロトコールは現在も八重山病院で使われています。
専攻医3年目で西表島の診療所へ所長として赴任
― 後期研修先として八重山病院を選んだ理由は?
1カ月の研修で終わらせたくない、もっとここで学びたいと思ったからです。八重山病院で研修を受ける前は、総合診療医に興味を感じる一方で、救急医としての進路も検討していました。医師として、診療科の領域を超えたあらゆる病気や患者さんに対応したいとの思いがあり、それは救急医にも通じることだと思ったからです。ですが、救急外来だけではなく、入院患者さんも診たいし、訪問診療にも携わりたい。さらに、病院全体の環境調整や行政との関わりも学びたいと考えていたので、それらを総合的に学べるのが総合診療だと八重山病院の研修で確信を得ることができました。専攻医として引き続き八重山病院の総合診療チームで学ばせてもらうことで、医師としても人間としても成長できるのではないかと思いました。
― 専攻医の研修について教えていただけますか?
私が受けたのは、八重山病院が手がけている専攻医向けの総合診療専門研修プログラム「南ぬ島(ぱいぬしま)」です。八重山病院は石垣島にあり、西表島や竹富島など周辺の離島を含めた人口約5万人をカバーする総合病院です。この研修プログラムの大きな特徴は、専攻医3年目から周辺の離島へ「島医者」として赴任することです。そのため専攻医2年目までに島医者としてやっていく上で必要な経験・技術の習得のため、八重山病院では総合診療科に加えて内科・小児科・外科・整形外科・救急科や連携病院のICUなどでも研修を重ねました。
そして、専攻医3年目の2024年4月に西表西部診療所に赴任することになったのですが、専攻医が離島の診療所の所長として赴任するのは八重山病院でも初めての試みとのことでしたが、その点にも私は大きな魅力を感じました。
そして、専攻医3年目の2024年4月に西表西部診療所に赴任することになったのですが、専攻医が離島の診療所の所長として赴任するのは八重山病院でも初めての試みとのことでしたが、その点にも私は大きな魅力を感じました。
― 不安ではなく、魅力を感じたのですね?
あらゆる診療科の垣根を超え、総合的に診られる医師になりたいというのが私の目標なので、むしろチャンスだと思いました。八重山病院では4つの離島診療所を持っていて(西表西部・大原・小浜・波照間)、私はその中の西表西部診療所の所長として専攻医3年目の2024年4月に赴任しました。同じ研修プログラムを受けている専攻医の同期も同じタイミングで違う離島へ赴任しましたし、指導医の先生や総合診療科の先輩に相談しやすい環境ということもあり、前例がないことへの不安よりも、どちらと言えばワクワクの方が大きかったですね。
― 離島に赴任して、どんな気づきがありましたか?
実際に離島に来てみて、患者さんとの距離が思っていた以上に近いことを実感しています。総合病院では院内で外来に訪れた患者さんとの限られた時間内でのやりとりがメインになりますが、離島では診療所の外来だけでなく、訪問診療や学校健診、集団予防接種であったりと、また島の売店やフェリー乗り場といった生活の場で患者さんやご家族とばったりと会う機会も多く、自然と距離が近くなりやすいです。島民の方との診療や交流を通じて、「疾患(ディジーズ)」と患者さんの生活背景や家族関係を含めた「病(イルネス)」の両方を複合的に診ることが、総合診療の醍醐味であり強みなのだと実感できるようになりました。診療所の歴代の所長が患者さんとご家族のヒストリーが分かる手書きのカルテを残してくださっているので、その想いをしっかりと受け継ぎ、患者さんと向き合いたいと思っています。
総合診療医としての力を試される場が「島医者」
― 島の診療所での印象的なエピソードはありますか?
印象に残っているのは、台風の夜に患者さんが運ばれてきた時のことです。台風の接近で風が強くなっている夜に患者さんのご家族から連絡があり、「痙攣しているから診てほしい」というお話でした。ところが台風の影響で、診療所は停電になってしまい真っ暗に。タイミングの悪いことに発電機も壊れていました。そのような状況下で、痙攣が続いている患者さんを、ご家族が背負って診療所に連れてこられました。痙攣止めの薬を投与し、真っ暗な環境で挿管を行うべきか悩んでいた矢先、さらに別の患者さんが来院されました。重なる時には重なるものですが、そうこうするうちに近くの島民の方が様子を見に来てくれたんです。診療所が騒がしいので気になったんでしょうね。事情を話したら他の島民の方々を集めてくれて、みなさんで発電機を修理してくれました。その後は痙攣も無事止まり、途中で来られた別の患者さんも電気のある環境下で診察することができました(笑)。離島医療の脆弱性を感じる一方で、島の医療は地域の人に支えられていることを実感しました。
― 医師として大切にしていること「見逃し三振より空振り三振」
「見逃し三振より空振り三振」という言葉を頭に置きながら、日々の診療に臨んでいます。ちょっとした油断や心の隙が、時には患者さんの命に関わることにもつながりかねないので、何ごとに対してもフルスイングを心がけ、専攻医として感じている今の緊張感を忘れないようにしたいですね。例えば、病状によっては八重山病院にドクターヘリの要請をするべきか、その見極めが難しいケースがあります。そういう時にこそ「見逃し三振より空振り三振」の言葉を思い出して行動するようにしています。自分の判断がオーバートリアージだったとしても自分が恥をかくだけですみますから、患者さんのことを第一に考えた判断ができる医師でありたいと思っています。
― 日本プライマリ・ケア連合学会では何か活動を?
先日、「冬ゼミ」で全体講演のお手伝いを初めてさせていただきました。正直なところ、これまで学会では沖縄県内の先生たちとの交流や活動が中心でした。学会には離島やへき地でご活躍されている総合診療医や家庭医の先生も多いと聞いているので、今後は県外の先生たちとも接点を持てるようにして視点を拡げられたらと思っています。
― 今後の目標や取り組んでいきたいことを教えてください。
この1年を改めて振り返ってみると、仕事を覚えることに必死で、自分の経験不足も様ざまに痛感しました。皮膚科や整形外科に関しての知識を増やしたり、行政とのやりとりも深めたりして、もっと成長したいという思いが今は強いですね。総合診療医としての力を発揮しやすい場所が島の診療所だと感じているので、専攻医の研修後も、しばらくは島医者を続け、医療のことだけではなく、地域の問題点を見つけて、幅広いスタンスから貢献できるようになりたいと思っています。そして、その経験を再び地域の中核病院に戻って生かすなど次のステップへ繋げたいですね。また視野を広げるために一度沖縄から離れることも大切だと感じているので、沖縄県外や海外で新たな挑戦をしたいとも思ってます
プロフィール
【経歴】
2020年3月 琉球大学卒業
2020年4月 琉球大学 初期研修医
2022年4月 八重山病院 後期研修医
2024年4月 西表西部診療所 赴任
【資格】
日本救急医学会認定ICLS指導者要請ワークショップインストラクター
【所属学会】
日本プライマリ・ケア連合学会
病院総合診療医学会
2020年3月 琉球大学卒業
2020年4月 琉球大学 初期研修医
2022年4月 八重山病院 後期研修医
2024年4月 西表西部診療所 赴任
【資格】
日本救急医学会認定ICLS指導者要請ワークショップインストラクター
【所属学会】
日本プライマリ・ケア連合学会
病院総合診療医学会
編集後記
「“シンク・グローバリー、アクト・ローカリー"という言葉を最近は強く意識するようになった」とは、インタビューの中で波平先生が口にした言葉です。「地球規模で考え、地域で行動する」という意味があり、総合診療医として、世界標準を意識しながら地域医療に取り組んでいこうという波平先生の意思表明でもあると言えるでしょう。波平先生によれば、離島の診療は「総合診療医としての力と人間性をものすごく試される場で、そこが楽しい」とのこと。医療ドラマの影響を受け「様ざまことを知っている医師」を目指す先生は今、着実にその夢に向かって前進し続けています。
最終更新:2025年03月10日 00時00分