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vol.55/ 「真のかかりつけ医を目指す!それを悟ったきっかけは一人のがん患者さんとの出会い」【専攻医】古田京先生

熱心なラグビーファンの方なら、きっと古田京先生の名前をご存知のはず。ラグビーの強豪校・慶應義塾大学ラグビー部で主将としてチームを率いていた方です。
そんな古田先生に医師を目指した理由や総合診療に関心を持ったきっかけ、今後の抱負などを語っていただきました。
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勉学とラグビーとの両立

― 先生が医師になろうと思われたきっかけを教えていただけますか?

私は中学から慶應義塾普通部に入学し、慶應義塾高等学校(慶應高校)を経て内部進学で慶應義塾大学(慶應大学)の医学部に進みました。慶應大学の場合、慶應高校から医学部に進学するには定期テストの成績のみで選抜されます。実力テストのようなものはなく、1年生から3年生までのテストを含めた各学期の評定の平均値の順位で決まります。私はもともと心配性な性格もあって、テストではしっかり結果を出そうとするタイプだったので、それが医学部に進学をすることができる順位に入ることにつながったと言えます。また、自分の可能性を狭めないために医学部に進める科目も取っていました。そのため、医者になることを意識し始めたのは、高校2年生の終わりに医学部に進学できる成績を残していると知った時ですね。具体的に考え始めたのは高校3年生になってからでした。

― 先生はラグビー選手としても実績をお持ちです。

過去の話ではありますが、当時は人生を賭けてラグビーに取り組んでいました。私は父の影響で五歳の時にラグビーを始めました。中学で慶應に入学したのもラグビーが強かったからのみが理由です。慶應がどういう学校かは全く知りませんでした。高校までラグビーに全力を注いでいて、全国優勝を目指していました。高校三年生時には花園(全国大会)に出場することができたものの、ベスト16で敗退してしまいました。

 

医学部に進学する際に最後まで悩んだのは、そのまま慶應大学でラグビーを続けるか、医学部に進学して医者になるかという二択でした。このどちらを選ぶべきかを真剣に悩みました。医学部に進み、かつラグビーを続けるというのは難しく思えて「どちらかしかない」という選択でした。今振り返ると当時の私はラグビーより勉強に自信があって、自信のある勉強の方で、外部から医学部に入ってくる優秀な人たちと勝負したいとの思いがあったのだと言えます。また、当時進学について相談している方に、「ラグビーで培ったコミュニケーション能力が医者の仕事に活かせる」と言われたことは今でも鮮明に覚えています。ありきたりな言葉ではありますが、医者となった今となって切実にその培ったコミュニケーションの重要さを感じています。

― でも、実際には大学入学後もラグビーを続けられたんですよね?

はい。先ほども言いましたが、ラグビーは大好きでしたが、全国で活躍できるほどの力はないと思っていました。ところが高校3年生の12月の全国大会での活躍が評価されて、3月に行われる高校日本代表のスコットランドとフランスへの遠征に選ばれたんです。自分には縁のない世界だと思っていたので本当に嬉しかったです。ただ、すでに医学部への進学届を出していたので「大学でラグビーを辞めようと考えている人が、日本代表として遠征試合に行っていいのか」ととても悩みました。それでも、これまでの努力を認めてもらえた「ご褒美」だと思って、最後にいいパフォーマンスをしようと心に決めて参加しました。そして、そこで出会った仲間たちと過ごすうちに「これからも高いレベルでラグビーを続けたい」という気持ちが強くなっていったんです。その思いが募って、高校代表の解散のミーティングで「やっぱりラグビーを続けます!」とみんなの前で宣言してしまっていました。

両立できるかどうかなんてわからないのに。結果として、その後は大学4年生まで医学部と体育会ラグビー部を両立することができました。今振り返るとあの生活はもうできないと思いますが、当時は必死でとにかく全力で取り組んでいました。こちらも大学日本一を目指して取り組んでいましたが、大学選手権はベスト8で終わってしまって、その悔しい気持ちは今でも思い出します。
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    ラグビー選手だった大学時代

末期患者さんとの出会いで得たもの

― ラグビー卒業後は、医学部5、6年生を過ごして、初期研修は済生会宇都宮病院に。そして、 先生が総合診療という科目に初めて出会ったのはいつ頃ですか?

初期研修1年目の2月頃です。もともとラグビーをずっとやっていたので、漠然と体育会系の消化器外科や整形外科の医師になるのだろうと考えていました。そのため外科のトレーニングができる済生会宇都宮病院を初期研修先として選びました。総合診療は選択肢にないどころか、存在さえもよく知りませんでした。

しかし、その初期研修中にある大腸がんの末期患者さんと出会いました。僕が総合診療を選んだ、それどころか医師を続けようと決意したきっかけとなった患者さんです。本人にも許可をもらっていて、他の取材等でも詳しく話させてもらっているのですが、大腸がんステージⅣでいわゆる外科的手術による根治は難しいのではないかと考えられていた方です。彼女との様々な会話を通して、外科手術で治すだけが医者の仕事ではないと考えるようになりました。患者さんの医学的な悩みに寄り添い、共に考え、共に判断する医者になりたいと思うようになったんです。そこである先生に「そういう医師はいるのでしょうか?」と尋ねたところ「それは家庭医療ではないか?」と言われました。初期研修先の宇都宮で、家庭医療で有名な先生に会わせてもらい、家庭医療学というものに一目惚れをしました。そこで学問的に語られている内容は、まさにかかりつけ医として患者さんに寄り添う医師像を言語化したものでした。その話を聞いている途中で、「じゃあ、僕はそれになります!」と決めました。

― 大腸がんの患者さんと向き合うことが深く考えるきっかけになったのですね。

済生会宇都宮病院の教育では「一度は医者として、もう一度は人として患者さんの部屋に行くように。」と指導されていました。その患者さんの部屋によく行っていたのですが、何気ない話の中で「私はどうしてがんになったんでしょうか?」と尋ねられたんです。健康的な生活を送ってきた彼女に対してうまく返答ができず、これでいいのだろうかと深く悩んだことが大きなきっかけとなりました。

実はその時まで、「自分はこのまま本当に医者を続けるのか」と悩んでいたんです。手術に専念して修行をつづける自分の姿がどうしてもイメージできなかったんです。でも「かかりつけ医」という医者の姿、そういった医者がいると知ったとき「自分はかかりつけ医になるために医学を目指したんだ」と強く思いました。そこで初めて「ずっと医者でいよう」と心に決めました。医者を続けようと思えたのは、その患者さんとの会話、その後のやりとりがきっかけです。
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近い将来は中小病院の経営者に。その過程で医師としての力もコツコツと貯めていく

― では、そこから総合診療科という道を選び、後期研修がスタートしたわけですね。

はい。総合診療の研修は基幹病院だけでなく、そこと連携している施設で行うことができます。私が所属している病院のプログラムは、私が一期生であったこともあり、指導医の先生方がとても親身になってくださいました。「行きたい場所があるなら連携を組むように頑張る」と言っていただき、この3年間は自分の希望する場所で研修を組ませていただきました。振り返っても、今の自分にとっては全ての期間がベストな研修であったと思います。行きたい場所を選ぶ上での判断基準はふたつありました。一つは、「医師として十分な教育を受けられること」です。その点で福岡県の飯塚病院は総合診療で歴史的に有名な病院であり、総合診療の力を最も養ってくれる場所だと思い、ここを研修先に選びました。もう一つは「経営」です。後期研修医のうちから病院経営についても学びたいと考えていました。麻生飯塚病院の系列にある頴田病院は、自分が目指す中小病院の経営モデルとして最先端だと思ったため、ここでも研修させてもらうことをお願いしました。後期研修3年目での、広尾病院での半年間の研修も私の強い希望です。

― 飯塚病院での研修で特に印象に残ったことはありますか?

飯塚病院の約900床のベッドのうち、200〜300床を総合診療科とそれに関連する部署で担っています。この規模で病床を持つ総合診療科は日本ではほとんどありません。さらに、総合診療医として充実した教育を受けられるだけでなく、シフト制をはじめとして無駄のない診療体制をとっていることもあり、多くの医者がここでの勤務を選んで来ています。経営的な視点で見ても、これだけの医師を集めている点は非常に参考になりました。専攻医として綿密な教育を受けられたことはもちろん大きな収穫でした。初期研修では手術をひたすら見ていましたし、基幹病院では、教育を受けるというよりも現場で様々なことに挑戦することに必死でした。だからこそ一度立ち止まって、医師としての基礎をしっかり学ぶことができたと感じています。
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― 先生が将来的に目指す総合診療は、どのようなスタイルですか?

私自身は、総合診療が一番力を発揮することができ、一番社会に求められているのは、中小病院での診療だと考えています。中小病院で、かかりつけ外来、在宅診療、病棟診療を行うことが、これからの社会で患者さんが求めている医療を提供できると考えています。「中小病院の経営」という観点でも総合診療的な医療は親和性がかなり高いものだと考えています。そして、これは非常に個人的な思いですが、僕は何よりも中小病院の規模感が大好きです。中小病院は、建物内を少し歩けば、全ての職員や全ての患者さんに会うことができます。この規模感がとても好きなんです。詳しく語ればキリがありませんが、様々な理由から、僕自身は中小病院での診療を続け、中小病院の経営をしようと決めています。賛否両論あると思いますが、医師としての力を伸ばし続けることは病院経営者としても必要でないかと考えています。医師としての力は、患者さんと向き合う診療の質とその量に依存するところがあると思うので、その鍛錬は続けて行こうと思います。
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    学会の活動も積極的に参加しています

プロフィール

総合診療専攻医 古田 京
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<経歴>
2021年3月 ​慶應義塾大学医学部卒業
2023年3月 ​済生会宇都宮病院 初期研修修了
2023年4月 総合診療科 後期研修開始
(以下、プログラム内のローテーション)
 2023年4月 おうちにかえろう。病院
 2024年1月 やまと診療所
 2024年4月 株式会社麻生 飯塚病院 総合診療科
 2024年10月  頴田病院
 2025年4月 やまと診療所
​ 2025年7月 都立広尾病院

取材後記

慶應義塾大学といえば、ラグビーの名門校として広く知られています。同ラグビー部は日本最古の歴史を誇りますが、医学部生として入部したのは古田先生が初めてだそうです。しかも主将まで務められたというのですから驚きです。

勉強と部活動の両立は並大抵ではなかったはずですが、最後までやり抜かれたのは、強い意思の力にほかなりません。その意思は、今後の医師としての歩みにも確実に生きてくることでしょう。さらに、がん患者さんとの出会いから総合診療を志された経緯には、人に寄り添う温かな心がにじんでいます。

先生は「総合診療医は何でもできると思われがちですが、一人で何でもできるわけではありません。ただ、何でも相談できることは確かなので、そんな風に思っていただけるよう発信をしていきたいです」と語っていらっしゃいました。その言葉に、医療の未来を担う力強さと誠実さを感じます。強い意志と優しい心を兼ね備えた古田先生の今後のご活躍に、大いに期待したいと思います。

最終更新:2025年10月14日 12時04分

「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

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「プライマリ・ケア公式WEB」 編集担当

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