ホームニュースプライマリ・ケア Field LIVE!vol.40 /「多面的なあり方と活動は家庭医にとって大切なこと」【医師】松井善典先生
ニュース
プライマリ・ケア Field LIVE!
vol.40 /「多面的なあり方と活動は家庭医にとって大切なこと」【医師】松井善典先生
今回ご登場いただく松井善典先生はさまざまな「顔」を持つ方。医師として、診療所所長として、また大学の講師や専門研修のプログラム責任者として活躍する一方で、長浜市の市政委員も務めています。さらにJPCAの県支部活動や委員会にも積極的に参加するなど、まさに八面六臂の活躍ぶり。昨年からは医学教育の大学院生にも。そんな松井先生にこれまでの歩みを振り返っていただきました。
目指していたのは「教壇に立つ小児科医」
― 先生はどういう理由で医師を目指すようになったのでしょうか?
高校生の時に「看護師1日体験」(!?)という滋賀県内の高校生を対象とした任意の職場体験があったんです。そこに参加したのがきっかけでしたね。当時生徒会長だったのですが「うちの学校から参加する生徒が少ないので生徒会で協力してほしい」と言われて「それなら」と偶然にも参加することにしました。
行ってみて驚いたのは、60名ほどの参加者のうち男子が私だけだったということです(笑)。完全に場違いでしたが、それを見た病院の方が「最近の男性看護師は手術室などの現場で患者さんを運ぶ仕事をすることが多いんですよ」と気遣ってくれて、手術室を見学させてもらうことになりました。そこで実際の手術を見たのですが、その時に担当医師が「この患者さんはこのままだとずっと寝たきりになるけど、この手術で歩けるようになるんだよ」と教えてくれたんですね。それを聞いて私は「あ、医師って凄いんだな」と思いました。
それまで私は「将来は人の人生をより良い方向に変えるような仕事につきたい」と思っていたんです。具体的には教師ですね。この時の経験で医師の仕事は教師とはまた違うものの「人がもともと持っていた人生の軌跡を取り戻す支えになる」という点では、より良い方向に変えるとも言えることに気づき、そういったことから将来の進むべき道として医師が視野に入ってきたというわけです。
行ってみて驚いたのは、60名ほどの参加者のうち男子が私だけだったということです(笑)。完全に場違いでしたが、それを見た病院の方が「最近の男性看護師は手術室などの現場で患者さんを運ぶ仕事をすることが多いんですよ」と気遣ってくれて、手術室を見学させてもらうことになりました。そこで実際の手術を見たのですが、その時に担当医師が「この患者さんはこのままだとずっと寝たきりになるけど、この手術で歩けるようになるんだよ」と教えてくれたんですね。それを聞いて私は「あ、医師って凄いんだな」と思いました。
それまで私は「将来は人の人生をより良い方向に変えるような仕事につきたい」と思っていたんです。具体的には教師ですね。この時の経験で医師の仕事は教師とはまた違うものの「人がもともと持っていた人生の軌跡を取り戻す支えになる」という点では、より良い方向に変えるとも言えることに気づき、そういったことから将来の進むべき道として医師が視野に入ってきたというわけです。
― 「こんな医師になりたい」というイメージはあったのでしょうか?
「教壇に立つ小児科医」のようなイメージですかね。実は松井家はほぼほぼ教育一家で、周りには学校の教員や保育士など教育職の家族・親族がたくさんいたんです。それで私自身も教師になりたいという夢を抱いていたわけですが、そこに「医師」という要素がプラスされたので「教壇に立つ小児科医」というイメージになったということです。ただ治療をするだけではなく、それ以前の段階の健康の知識やリスクを避けるための行動・心構えといったことを学校の子供たちに今で言うライフスキルやヘルスリテラシーを教えに行く、そんなイメージです。そして子供たちだけではなく、お母さんの相談にものりたいし、孫を(受診に)連れてきたお婆さんの診察もしてみたい。言ってみれば「家族みんなを診る小児科医」ですね。今考えれば「家庭医」そのものなんですが、その時はまだ総合診療のことは知らなかったんです。
― 総合診療のことを知ったのはいつ頃でしたか?
大学4年生の終わり頃ですね。日本の家庭医療の発展に貢献したマイク・フェターズ先生というミシガン大学の先生がいらっしゃるのですが、私が大学4年生の時にうちの大学(滋賀医科大学)に講演に来られたんです。確か「日米の医学教育の比較」というテーマだったと思いますが、私は興味を惹かれてこの講演をこっそりと聞きに行きました。なぜ「こっそり」かと言うと、その講演は教員向けだったんです(笑)。
その時にマイク先生から家庭医のことを教えていただきました。「子供からお年寄りまで、包括的・全人的に診るファミリーメディスンというものがある」と聞いて、それが自分の中の「教壇に立つ小児科医」に重なったんです。
「あ、これは自分が目指すべき道だ」と思い、そこからは一直線でしたね。家庭医以外は考えませんでした(笑)。
その時にマイク先生から家庭医のことを教えていただきました。「子供からお年寄りまで、包括的・全人的に診るファミリーメディスンというものがある」と聞いて、それが自分の中の「教壇に立つ小児科医」に重なったんです。
「あ、これは自分が目指すべき道だ」と思い、そこからは一直線でしたね。家庭医以外は考えませんでした(笑)。
北海道での経験がターニングポイントに
― 在学中の活動としてはどのようなことを?
5年生の夏に日本プライマリ・ケア連合学会の前身「日本家庭医療学会」時代の夏期セミナーに参加して、6年生のときはスタッフとして活動を手伝っていました。初期研修医時代は講師も務めました。
また、学内では家庭医療の勉強をする「FPIG (Family Practice Interest Groupの略)滋賀」というサークルを作りました。これは関西の他の大学にも仲間が広がっていって、最終的には「FPIG関西」になりました。和歌山医大や関西医大、京都府立医大、京都大学などの学生が集まって、みんなで勉強会をしていましたね。学会でもその活動について発表したことがあります。
また、学内では家庭医療の勉強をする「FPIG (Family Practice Interest Groupの略)滋賀」というサークルを作りました。これは関西の他の大学にも仲間が広がっていって、最終的には「FPIG関西」になりました。和歌山医大や関西医大、京都府立医大、京都大学などの学生が集まって、みんなで勉強会をしていましたね。学会でもその活動について発表したことがあります。
滋賀医大卒業後は、北海道で初期研修・後期研修を受けたのですが、北海道に行った理由の一つには、マイク先生からアドバイスを受けたこと、恩師の雨森先生からの推薦をいただいたことがあげられます。「家庭医の勉強をするにはどこがいいですか?」とお二人に聞いたら、北海道の名があがったんですね。ここが一つのターニングポイントになったと思います。
― 北海道で得たものは大きかったわけですね?
そうですね。後期研修は「北海道家庭医療学センター」にお世話になることにしました。北海道家庭医療学センターには草場(鉄周)先生をはじめとして素晴らしい先輩や同期・後輩たちがいたので共に悩み学び成長する環境でした。当時は法人認定の家庭医療専門医という黎明期で、後期研修に入ってから学会認定となるという過渡期でもありましたが、今思うとそれはベストの選択だったと思います。
そして何より大きかったのは、後期研修後にフェローシップで学んだことですね。ここでは専門医を取った後の診療所経営や医学教育、研究といったことについて学びました。フェローシップは草場先生から直接お誘いを受けたのですが、当初はとても悩みました。後期研修が終わった後は滋賀に戻るつもりでしたから、フェローシップを受けるとなるともう2年は北海道にいることになるわけです。実は母校の滋賀医大からは「ポストを用意しているから、戻ってきてほしい」という声もかかっていたんです。これには本当に悩みました。今では笑い話ですが、「タロット占い」に行って、北海道に残るか、滋賀に戻るかを占ってもらったほどです(笑)。最終的には北海道に残ることにしたのですが、そのフェローシップでの2年間はその後の10年間を支える学びにもなるほどに「濃い時間」になりました。
信頼のおける浅井東のメンバーたちに支えられながら
― 滋賀に戻られたのが2012年。その2年後には「浅井東診療所」を開設して所長に就任されています
浅井東診療所開設までの約2年間は地元の診療所で一時的に働いていましたが、ここで現実というものに直面したんです。それまで私は大学在学中から含めて、家庭医の存在が当たり前の世界で過ごしてきたわけですが、それが実は当たり前のことではないことに気づかされました。まだまだ一般的には「家庭医って何?」のような認知度だったんですね。だから、それまで学んできたことが現場で充分に活かせない歯がゆさのようなものを感じることが少なくありませんでした。でも、これは見方を変えれば「自分たちは守られていたんだ」という気づきにもつながったと言えます。それまで私たちが家庭医として研鑽してこれたのはそういう環境を整えてくれた先輩方がいたからだということを改めて感じましたし、自分がこれからはそのような環境を後進のために関西で作ろうと決意しました。
浅井東診療所は北海道のフェローシップ時代の同期の宮地(純一郎)先生と「将来関西に戻ったら一緒に立ち上げよう」と話していた夢であり目標でした。北海道家庭医療学センターが行っていることを関西でも踏襲していこうという思いでした。そしたらそのことを知った指導医の先生方から「そういうことなら、うちの所属でやってみないか」と言われたんです。これはありがたい申し出でしたね。やはり全くのゼロからスタートするよりも支援を得られ軌道に乗せやすいですから。また私個人としてよりも組織としての持続可能性を追究したいということで、私たちの浅井東診療所は北海道家庭医療学センターが展開する拠点の一つという位置付けなんです。
― その浅井東診療所の立ち上げから10年が経ちましたが、課題はありますか?
プライマリ・ケアの多職種チームとしては完成度が高いものができていると思っています。浅井東はメンバーたちにも恵まれ、行政との連携も進んでいて、良い家庭医療のモデル診療所になりつつあるというのが本音のところです。診察だけではなく、教育や研究も行っていますし、北海道の頃にイメージしていた医師像以上のところに来ているという感じですね。本当にこれはもう周りの方々のおかげです。そして家庭医療を卒前教育から専攻医教育までも行う最適な環境になりつつあると感じています。あとは多様なリーダーを多面的に輩出しながら、同時に浅井東を持続可能なプラットフォームにするのが課題です。
教育と言えば、うちの看護師たちは家庭医を育てるがとても上手なんですよ(笑)。毎年医学生を受け入れるのですが、彼らが実習に関してさまざまにフィードバックしてくれるものを看護師たちはしっかり咀嚼して、実習現場に活かすんですね。「医学生はこういうところで悩んだり学びを感じたりする」ということがわかっているので、ポイントポイントで適切なアドバイスや意見を提供できるわけです。それは専攻医の皆さんに対しても同じですね。もともと発言のしやすい環境ができているので、なおさら活発なコミュニケーションが生まれて、そこからうちで学ぶ皆さんもいろんなことを得られるわけです。私以外のメンバーのリーダーシップが発揮され教育的な対話があって、そういう環境が実現できていることにも感謝していますね。そんな風に診療所のメンバーたちに対しては信頼を置いているので、所長の私が四六時中いなくても診療所はまわるようになっていると思っています。
そういうこともあって、私自身は昨年(2023年)から名古屋大学の大学院で医学教育の勉強するようになりました。これは以前から関心があったジャンルなんです。一方で、以前から日本プライマリ・ケア連合学会の委員会活動にもいろいろと参加させていただいたりもしています。 他にも長浜市の市政委員として活動したり母校で非常勤講師を務めたりと毎日忙しくていますが、いろんな活動のステージがあることに私自身は充実感を覚えていますし、家庭医としてはそうした多面的なあり方と活動が大切だと思っています。今後もさまざまなあり方と活動を通して地域と家庭医療の発展ために貢献していければと思っています。
プロフィール
浅井東診療所 所長
https://azaihigashi.hcfm.jp/
北海道家庭医療学センター 理事
https://saiyo.hcfm.jp/
関西家庭医療学センター プログラム責任者
https://www.kansai-fm.jp/
2005年 滋賀医科大学医学部を卒業
2007年 日鋼記念病院にて初期研修修了
2010年 北海道家庭医療学センターで後期研修、および2012年同フェローシップ修了
2012年 地元滋賀県長浜市にUターン
2014年 浅井東診療所所長に就任
2015年 関西家庭医療学センター プログラム統括責任者
2023年 名古屋大学大学院医学系研究科 博士課程 総合医学専攻(総合医学教育学)
日本プライマリ・ケア連合学会家庭医療専門医・指導医
滋賀医科大学 非常勤講師、地域医療教育検討専門委員
日本プライマリ・ケア連合学会 生涯教育委員会、コアコンピテンシー委員会、滋賀県支部 副支部長
2021年 養父市 第8回やぶ医者大賞受賞 、2022年 滋賀医科大学 第21回湖医会賞(教育領域)受賞
https://azaihigashi.hcfm.jp/
北海道家庭医療学センター 理事
https://saiyo.hcfm.jp/
関西家庭医療学センター プログラム責任者
https://www.kansai-fm.jp/
2005年 滋賀医科大学医学部を卒業
2007年 日鋼記念病院にて初期研修修了
2010年 北海道家庭医療学センターで後期研修、および2012年同フェローシップ修了
2012年 地元滋賀県長浜市にUターン
2014年 浅井東診療所所長に就任
2015年 関西家庭医療学センター プログラム統括責任者
2023年 名古屋大学大学院医学系研究科 博士課程 総合医学専攻(総合医学教育学)
日本プライマリ・ケア連合学会家庭医療専門医・指導医
滋賀医科大学 非常勤講師、地域医療教育検討専門委員
日本プライマリ・ケア連合学会 生涯教育委員会、コアコンピテンシー委員会、滋賀県支部 副支部長
2021年 養父市 第8回やぶ医者大賞受賞 、2022年 滋賀医科大学 第21回湖医会賞(教育領域)受賞
取材後記
「毎日診療ができるということに感謝しています」。松井先生がそう口にしたのは、家庭医としての現実に直面した当時について語って頂いている時だった。毎日診察することは医師にとって当たり前だと思っていたが、実はそうではなく、医療スタッフはもちろん医療事務や施設の運営管理を手がける職員といったさまざまな人たちの支えのもとで実現していることを痛感し、そのことを日々忘れないようにしているとのことだった。
そうした姿勢を持つ先生が所長を務めているからこそ、浅井東診療所は診療・教育・研究を同時に扱う地域の診療所として個性的な立ち位置を獲得しているのかも知れない。ここで働く一人ひとりが存在感を発揮できる環境が整っているのだ。松井先生自身の歩みもそうだが、こうした診療所のあり方も地域でプライマリ・ケアを実践していくにあたっての確かなヒントになると言えるだろう。
そうした姿勢を持つ先生が所長を務めているからこそ、浅井東診療所は診療・教育・研究を同時に扱う地域の診療所として個性的な立ち位置を獲得しているのかも知れない。ここで働く一人ひとりが存在感を発揮できる環境が整っているのだ。松井先生自身の歩みもそうだが、こうした診療所のあり方も地域でプライマリ・ケアを実践していくにあたっての確かなヒントになると言えるだろう。
最終更新:2024年08月30日 15時22分