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Current topics - プライマリ・ケア実践誌

健康と社会を考える/医師の影響力を自覚的に用いる−アドボカシー活動とパートナーシップ構築

はじめに

日本プライマリ・ケア連合学会では、2018 年 3 月に「健康格差に対する見解と行動指針」を策定した。その概要は、第 9 回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会において、「三重宣言 2018」として丸山泉理事長より発表された(表 1)1)。 「三重宣言 2018」を受け、本誌では 2018 年夏号より「健康 と社会を考える」という連載を開始した。今回は、アドボ カシー活動や職域を超えたパートナーシップについて「健 康の社会的決定要因検討委員会」(以下、SDH 委員会)メー リングリストでの議論をふまえてともに考えたい。
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【事例】

小さいときからかかりつけ医として診療している女子中学 生が、最近、頻回に外来を受診し、「息が苦しい」と訴える。喘息の既往はあるものの、喘鳴は聴取せず喘息発作とは考え にくい。症状の改善も見られない。よくよく話を聴いてみると、母子家庭の一家の経済的事情で市営住宅への転居が決まり、そのため学区が変わって転校することになっているとのこと。本人は、転校したくないと非常に悩んでいることがわかった。
もし読者が同じような事例に直面した場合、プライマリ・ケア医としてどのように行動するであろうか? この生徒の主治医は、経済的事情により転校することが、 症状を生じさせている可能性が高いと考えた。自分が直接 的な働きかけを行うことを逡巡したが、“健康に影響を及 ぼす社会的要因(Social Determinats of Health)に働きか けることは、アドボケートとしての医師の役割である"と いう言葉に背中を押され、思いきって教育委員会に電話を かけた。転居先は、現在の校区からわずかに外れるものの、 通学は十分可能な距離である。担当者からは、「それぞれの 学校長の判断による」との回答であった。そこで、当該中 学の校長に電話をかけ、転居後も通学を認めてもらうこと はできないかと相談をした。すると、「専門家の先生がいわ れるのなら……」と、転居後も引き続き通学できるように取り計らわれた。その後、その女子生徒の症状はすっかり消失し、元気に登校している。

「BPS(bio-psycho-social)アプローチ」の実践

プライマリ・ケア医には、患者の心理社会的要因に目を 向けて診療に当たることが求められている。上記の事例では、「息が苦しい」原因が喘息などの器質的疾患ではなく、経済的事情による転居・転校が影響を及ぼしていることに主治医は気づいた。教育委員会に相談の連絡をしたことは悩みながらの実践であったが、結果として、健康に影響を及ぼす社会的要因への対処につながり、この生徒の症状は消失した。

転校は、家と学校しか世界がない子どもにとって、大きなライフ・イベントである。プラスに働く側面もある一方、転校が不登校のきっかけになったりもする。そして不登校は、子どものその後の人生に大きな影響を与える。転居を余儀なくされるほどの経済的事情が家庭に生じたというだけで、この生徒が厳しい状況におかれていることは容易に想像できる。母親の困難を間近に見聞きし、生活上の変化を経験し、またそれらが相互に作用しあってストレスへの 感受性を高めていたと考えられる 2)。そのようななか、友だちとの別れや新しい環境への適応を要する転校が、ネガティブなライフ・イベントとして認知され、身体症状に現れるにいたったと推測される。
生物医学的には、喘息の既往のある患児の呼吸器症状という視点での診療になるが、主治医は生徒の心理的状況に目を向け、生徒が自分の抱える困難を表出できるように支えた.プライマリ・ケア医に求められる「BPS アプローチ」 の実践が、この女子生徒の健康を左右する社会的要因を明らかにしたといえる。
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他セクターとの協調・アドボケートとしての医師の役割

主治医は、明らかになった社会的要因への働きかけとして、教育委員会に連絡をしたのち、生徒の通う学校長に相談を行った。アルマ・アタ宣言で知られるプライマリ・ヘ ルス・ケアの 5 原則(表 2)において、「他のセクター(農業、 教育、通信、建設、水など)との協調、統合」は重要な 5 項目の一つとなっている。公益財団法人医療科学研究所「健康の社会的決定要因(SDH)」プロジェクトでは、「健康格差対策7原則」のなかの第6原則として「縦割りを超える」を掲げ、「住民や NPO、企業、行政部門など多様な担い手をつなげる」活動が健康格差の縮小に役立つと述べている (図 1)3)。今回の担当医の取り組みはセクターを結び、縦割りを超える協調となっているの実践が、この女子生徒の健康を左右する社会的要因を明らかにしたといえる。
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本学会が策定した「健康格差に対する見解と行動指針」では、健康格差の解消に向けて、「患者・家族および関係者や関係機関(専門職、医療や福祉の専門機関、地域住民、支援ネットワーク、NPO、行政、政策立案者など)とパートナーシップを構築します」と宣言している。普段やりとりのないセクターに新たに働きかけるのは躊躇するものである。しかし、プライマリ・ケア医は学校医として教育機 関と連携することも多い。学校保健委員会での活動や、親 として参加する PTA 活動のなかで、連携を取りやすい体制を築くのも、アドボカシー活動(表 3)への理解を進めることになるであろう。事情を知らないと、「学区が変わった= 転校しなければならない」と思いがちであるが、実は学校裁量に任されている部分も大きい。学校関係者とコミュ ニケーションをとり、パートナーシップを構築することで、 医療者がそのような知識を得る意味も大きい。

カナダのCanMEDs Frameworkでは医師の有する役割・能力として、ヘルス・アドボケートを明示している(図 2)4)。ロフェッショナリズムやコミュニケーション能力、医学 の専門性、多職種で協働する力、リーダーシップを発揮することと同様、ヘルス・アドボケートとしての能力が医師 には不可欠と位置づけている。患者の側に立って声なき声を代弁し、医師のもつ専門性や影響力を行使して、患者が 必要とする医療以外のニーズにも対応する能力である。今回紹介した事例のように、セクターを超えたパートナーシップ構築が、医師のアドボカシー活動を後押ししていくことであろう。

「医師という専門家」の影響力とパートナーシップ

SDH 検討委員会のメーリングリストで冒頭の事例について紹介された際、医師のこのような働きかけを「学校長に 直接連絡して意見を述べるのは、越権行為だととらえられることはないだろうか」という懸念が示された。また、「地 方ほど医師は影響力が強い存在になっており、地域社会での“医師という専門家"としての権力や影響力については 自覚が必要」という意見もあった。よい変化を起こそうとした医師の行動も、ときに思いもよらない結果をもたらすことがある。それに対して、別の委員からは「誰のどのような権利を越えているというのか」という疑問が呈された。

この生徒が健やかに毎日を過ごせることを学校長が願うのなら、医師の越権行為とは感じていないのではないかという視点である。その後のメーリングリストでの議論では、今回のケースにおいて「越権」という言葉は的を射ていない表現であること、一方、セクターを超えたパートナーシッ プを構築するには医師という専門家の影響力には自覚的でなければならないという意見が出された。  
それぞれの地域社会の課題を解決するためには、医療面 の対応だけでは解決が困難なことが多く、その課題を引き起こす「上流の因子」に目を向けなければならない。そして、課題の上流因子である社会的要因に働きかけられるよう、セクターを超えたパートナーシップの構築が必要である。大事なのは、医療者が患者への社会的なケアのために、医療以外の組織の関係者とコミュニケーションをとっていくことである。ただし、医師の立場がどうとらえられているか、どのような影響力を有するかは、地域社会の文脈によって当然異なる。それぞれの地域で、セクターを超えてパートナーシップを構築するには、さまざまな立場や価値観の違いを理解しあう必要がある。医師には、医学の専門家であるからこその影響力を自覚しながら、チームへの参加が求められている。セクターを超えた実践において、関係者とフラットな関係で議論を進めるなかでこそ、地域社会の文脈に合った解決策の糸口を見出すことができるからである。
女子生徒のために働きかけを行った医師も、次のように 述べている。「“医師に意見をいえない雰囲気がある"というのは、田舎であればあるほど感じる。だからこそ医師は、学校関係者と話す場合には、慎重な物言いが必要だと思う。何より患者ファースト、この場合は生徒ファーストで、教育者と胸を開いた意見交換ができるスキルが大事になる」

おわりに

近年、プライマリ・ケア医の仕事として、地域包括ケアシステムの構築など、地域社会の課題解決をめざした、セクターを越えた取り組みがいっそう求められている。さまざまな領域の専門家とパートナーシップを構築して、課題 の上流因子である社会的要因に働きかけられるよう、「健康 の社会的決定要因(SDH)」という枠組みも取り入れると、地域固有の文脈のなかで共通の理解や解決策の糸口を見出せるのではないだろうか。  

今回、女子生徒のために一歩を踏み出した医師は、「“健 康の社会的決定要因(SDH)"への取り組みは医師の責務」という言葉に背中を押されたと話した。本学会の「健康格 差に対する見解と行動指針」が、今後、学会員の積極的取り組みを後押しし、医師の影響力を自覚したアドボカシー活動、パートナーシップ構築に役立つことを願っている。

プロフィール

小松 裕和
佐久総合病院地域ケア科

略歴
佐久総合病院 地域医療部副部長/地域ケア科医長
2002年、岡山大学医学部卒業
佐久総合病院初期研修、岡山大学大学院博士課程年(疫学・衛生学)を経て
2009年より佐久総合病院地域ケア科
2012年4月より同科医長
2016年より地域医療部部長
日本プライマリ・ケア連合学会認定医/指導医
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武田 裕子
順天堂大学医学部医学教育研究室

略歴
1986年筑波大学医学専門学群卒業
医学博士
米国にて内科/プライマリ・ケア専門研修
筑波大・琉球大・東京大・三重大で教員として地域医療教育、医学研修に従事
2010年英国ロンドン大学院留学
公衆衛生学修士号取得後、キングス・カレッジ・ロンドン医学部研究員
2013年にハーバード大学総合診療専門リサーチフェロー
2014年より順天堂大学医学部教育研究室教授、日本プライマリ・ケア連合学会理事
「SDH検討委員会」委員長
日本医学教育学会理事
学会誌編集委員会委員長
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最終更新:2023年04月27日 11時57分

実践誌編集委員会

記事の投稿者

実践誌編集委員会

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