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離島・へき地医療の現場

「しまの家庭医になる」 / vol.1 / 01 隠岐病院 小川将也先生(インタビュー編)

離島医療・へき地医療と聞くと、
 興味はあるけど身近にない。イメージが湧きにくい。だから、飛び込みづらい…
そういう方多くないですか?

JPCA「島嶼およびへき地医療委員会」では、多くの方が島嶼・へき地にもっと関心をもってもらう為に、日本全国の島嶼やへき地などの医療現場を訪れ、働いている医師を通して離島やへき地で実践されているリアルな医療、そしてそこでの生活を紹介するシリーズをお届けします。中高生や医大生、これからそのような医療に飛び込んでみたいと考えている先生方には、このシリーズでいろいろなロールモデルに出会えると思います。また、地域で生活されている方には、医師がどのような想いでその地で医療を行っているのかを垣間見て頂ければと思います。

「〝妻は最強の同僚〟。同じく総合診療医の奥さんとともに島根県の隠岐で、離島医療に取り組む!」【医師】小川将也先生

「離島に暮らす医師は島の生活を楽しまなければならないと思っています」。そう語るのは島根県隠岐島にある隠岐病院に勤務している小川将也先生。その言葉通り、診察室以外でも島民の方々と活発に交流を行っているとのことです。その小川先生にへき地医療に携わるようになったきっかけから、仕事のやりがいや大変さ、取り組むべき課題などについて様々なこと、まずはオンラインでお話をお伺いしました。
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白石吉彦先生への憧れから離島へ

— 先生が隠岐病院に勤務することになったきっかけから教えていただけますか?

私は島根県の出身で、大学は自治医科大学です。そういうこともあり、卒業後は地元の医療機関に勤務することになっていました。卒業後は、まず初期研修として島根県立中央病院に2年間勤務しました。その後、隠岐病院に赴任したわけです。自治医大出身者は、基本的に県の人事で動くことになっているのですが、赴任先を決めるにあたって希望を聞かれるんですね。ざっくりとした言い方になりますが「山がいいか、海がいいか」といった感じなんです(笑)。そこで私が選んだのが海。つまり離島ですね。その理由としては、大学時代にお会いした白石吉彦先生の影響が大きかったと思っています。

— 離島の医師としても有名な方ですね。

はい。白石先生は自治医科大学を卒業後、隠岐島前病院に長く勤務されています。いまも島根大学医学部附属病院総合診療センター長を務めながら、同院でへき地医療を続けられています。そういう姿に憧れを抱いていたことが大きかったですね。
また、隠岐病院は規模も大きく、重症患者を診ることもできます。医師として経験を積んでいくには大きな病院のほうがいいと思っていたこともあって隠岐病院に3年間お世話になりました。その後1年間は茨城県にあるひたちなか総合病院に勤務しました。これは見聞を広めるためです。最初からずっと島にいることで考え方が固まるのもどうかと思いましたし、まったく違う環境の一度身を置いてみたかったということがあります。
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    たくさんの人に見送られながら、一度、島を離れる時にかけられた声、それは…

— そして再び隠岐病院に戻ってこられましたね

島を離れることになったときに地域の人たちから「また戻ってきてください」と言われたことが大きかったですね。じつは3年目からは主治医もさせてもらっていたので、患者さんとのつながりは深かったと思っています。
最初の3年間は寝る時以外は病院にいたと言っていいほどがむしゃらに働いていました。ただ、充実した毎日を過ごす一方で、個人としての限界も感じていたのも事実です。いったん外の世界を見たことで痛感したのは、組織としての力を高めていかなければならないということですね。

— 組織として強くなるということですか?

そうですね。個人に負担がかかりすぎないような組織的な仕組み作りが必要だと思っています。先ほども言ったように、私は3年目で主治医としての役割も果たすことになったのですが、これは「早く経験を積んで一人前になってほしい」ということだったと思っています。責任を持たせることで成長をうながすわけですね。
私は仕事が大好きなので(笑)、苦労もしましたが、それ以上の面白さを感じていました。とは言え、そこにはやはり限界があり、私より若い世代の人たちのなかには、その個人の負担が耐えられないというケースも見られました。それで、組織力をもっと生かせる環境を整えていかなければならないと思うようになったんです。

医師としていろんなことができる環境

— へき地医療はどうしても「1人で何でもできる医師」というイメージがあります。

実際にはその通りで、何でもしなければならない状況があります。言い換えれば、医師としていろんなことにチャレンジできるわけですね。でも、それを負担に思う人たちからすれば、へき地医療を敬遠してしまうことにもなりかねません。将来のことを考えると、そこは大きな課題になってくるので、いまは環境作りに取り組んでいるところです。
ただ「1人で何でもできるように」というのは、そうせざるを得ない環境があったからだとも言えるんです。やはり離島ですから「全部ここで(治療を)完結するぞ」というマインドが養われてきたんですね。先輩から聞いた話ですが、ドクターヘリの運用が始まったのが10数年前。それまでは本土への患者さんの搬送はフェリーになりますから、時間がかかってしまいます。だったら、できるだけ島で何とかしよう、と考えるようになるわけですね。

— そういう風土の中で先生はどのようなやりがいを感じていますか?

医師としていろんな経験ができることですね。それはもちろん成長にもつながるわけですが、搬送を例に挙げると、最初の頃は研修医としての少ない知識を総動員しながら判断していたんです。いわば教科書的な対応ですね。でもいまは、例えば患者さんがどこで最期を迎えたいかを汲み取った上で搬送するかどうかを決めるといった対応もできるようになり ました。あと、天候の問題でドクターヘリを呼べない時、状況によっては自衛隊に搬送を依頼することもあるんですが、患者さんの様子を見て「これなら自分が一晩ついていて、翌朝にドクターヘリを呼べば大丈夫だな」といった判断もできるようになりました。

— 先生は奥様もお医者さんで、同じ病院に勤務されていますね

妻とは自治医大で知り合いました。彼女の苗字も「小川」なんですよ(笑)。だから、結婚しても名前は変わりませんでした。その妻ですが、私は最強の同僚だと考えています。彼女も総合診療医ですし、仕事のことは何でも相談します。問題があれば、2人で解決にあたる。私にとっては大脳が2つあるようなものですね(笑)。
あと、地方に住んでいると、地域ならではの「信頼ポイント」のようなものがありますよね? 一生懸命に取り組むことで、地域の人たちから少しずつ認められていって、それが大きな信頼につながっていくというような。その信頼ポイントが、妻がいることにより倍速で積み重なっていっているという実感は抱いています。
私たちが夫婦だということは、もちろん島民のみなさんは知っていますから、妻が頑張れば「いつも奥さんに診てもらってます」ということで 私の信頼ポイントも上がります。その逆もまた然りで、私自身も頑張ることで妻の評価を上げることができます。また、妻も私も診察室以外で地域の人たちと交流することが好きなので、その点においても「隠岐ライフ」は充実しているといえますね。
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    いつでもたくさんの仲間がそばに
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「隠岐の離島暮らし」も楽しみながら

— プライベートも楽しんでいらっしゃるわけですね。

離島や辺境にいる医者は、その地域での暮らしを楽しまないといけないと私は思っています。そのことで注目をされますし、若手たちが来てくれることにもつながっていきますから。その点、白石先生はセイリングや魚釣りなど島の暮らしをとことん楽しんでいて、私は遊びの達人として尊敬しています(笑)。私自身も先日テントサウナを購入してアウトドアを楽しんでいるんですよ。
「〇〇さん、こんにちは。その後どうですか?」みたいなやりとりをすることもあります。
病人として診ていた人たちの普段の姿を目にすることができるのも楽しいですね。
私がよく足を向ける居酒屋のご主人は以前とある疾病にかかっていたのですが、いまはそれを乗り越えて美味しい料理を出してくれるようになっています。地域でも評判のお店で、ご主人が働いている姿を見ると「本当によかった」と思うんですよね。
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— プライマリ・ケアのお医者さんらしい感覚ですね。

私は在宅医療で患者さんのご自宅にうかがった時も、室内に飾っている写真を見るのがとても好きなんです。その人の人生の軌跡が見えてくるんですね。 いまは寝たきりで喋るのもままならないけど、この人なりにしっかり生きてきて、現在は家族に大切にされているんだな、とか。プライマリ・ケアは患者さんだけではなく、家族や地域にも目を向けることが大切なので、この仕事は自分でも合っていると思っています。
総合診療医は救急や予防、慢性疾患などすべて含めて、家庭医的なアプローチをしていかなければならない面があるので、そのぶん仕事から得られる面白さも大きくなりますよね。
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— 離島の医療に関心を持つ若い人たちにメッセージをいただければと思います。

離島での医療は医師としてさまざまなチャレンジがしやすい

先ほども言いましたが、離島での医療は医師としてさまざまなチャレンジがしやすい状況があるということは、まず第一に強調しておきたいですね。医師として幅広いスキル・知識を身につけながら成長していきたいという人は少なからずいると思うので、そうした人たちはいろいろとやりがいを感じられるとは断言できます。
隠岐島の場合、人口は1万人ちょっとの規模なので、重症の患者さんはそこそこ見渡せるんですね。対応できる範囲の多様性といいますか、いろんな疾病を手がけることができる。だから、訪問診療や入院管理、 救急、搬送など何でも対応できるようになりたいという人はぜひ挑んでほしいと思っています。
そして同時に離島での暮らしも目一杯楽しんでほしいですね(笑)。
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次号、いよいよ小川先生のいる隠岐病院への訪問リポートです~

最終更新:2023年11月24日 01時49分

島嶼およびへき地医療委員会

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島嶼およびへき地医療委員会

離島や過疎地域の情報、活躍する医療者の紹介、研究活動などを紹介していきます

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