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離島・へき地医療の現場

「しまの家庭医になる」 / vol.1/02 隠岐病院 小川将也先生(訪問リポート(前編)~離島医療の巻~)

離島医療・へき地医療と聞くと、
 興味はあるけど身近にない。イメージが湧きにくい。だから、飛び込みづらい…
そういう方多くないですか?

JPCA「島嶼およびへき地医療委員会」では、多くの方が島嶼・へき地にもっと関心をもってもらう為に、日本全国の島嶼やへき地などの医療現場を訪れ、働いている医師を通して離島やへき地で実践されているリアルな医療、そしてそこでの生活を紹介するシリーズをお届けします。中高生や医大生、これからそのような医療に飛び込んでみたいと考えている先生方には、このシリーズでいろいろなロールモデルに出会えると思います。また、地域で生活されている方には、医師がどのような想いでその地で医療を行っているのかを垣間見て頂ければと思います。

島根県の離島 隠岐の総合診療医 小川先生へお会いしてきました!

2023年10月初旬 島根県の隠岐へ訪問し、「しまの総合診療医」である、小川先生にお会いしてまいりました。総合診療医として離島医療の実践の様子や、ご家族との離島生活など、直接お話をうかがうことができました。
現地リポートの(前編)では、離島医療の様子をお届けします。
(訪問者:JPCA島嶼およびへき地医療委員会 青木信也)

<訪問リポート(前編)~離島医療の巻~>では、医師から見た、離島で働くドクターの仕事って?をテーマに、見たり、聞いたりしてきました。
・離島医療に携わる前の不安、来てみた実際
・患者さんとの関わり方、離島医療の難しさ
・一緒に働くスタッフや職場環境、地域との連携
・離島医療の課題、そして、離島だからこそ身につくスキル
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隠岐への渡航。 そして、小川先生のいる隠岐病院へ

2023年10月 朝9時の飛行機 強風のため、引き返すかもしれないというアナウンスのもと、隠岐へ向けて飛びたった。よく北海道などで、大雪のため引き返すことがあるかもしれませんと聞いたことがあったが今まで引き返すことはなかったので、今回も大丈夫だろうとタカをくくっていたが、…今まで経験した中で一番の縦揺れ横揺れ。さすがにびっくりした。同じ飛行機に乗っていた隠岐3回目になる研修医が「今回は一番揺れてました。さすがに怖かったです。」というほどだった。
出雲から30分のフライトで到着する隠岐島。風が常に強く吹くことが多い島。同じ島根県での移動も大変だ。
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外来診療では「島暮らし」を続けたい高齢女性の気持ちを汲み

今回お会いする小川先生は、島後にある隠岐病院に勤務されています。
当日は午前の初診外来の中、私を迎えて下さり、診療の様子に立ち合わせていただきました。

一人目の女性は、2ヶ月前に失神を主訴に受診した80代の女性。独居だ。来院時は妹様と二人で受診。島には家族はいない。県外の妹様しかいない。2ヶ月前の入院時に精査を行ったところ洞不全症候群による失神と診断し、ペースメーカーを留置する治療適応と判断した。そのときは、「もう、いい。島からでるのも嫌だし、治療も受けなくていい。」そうおっしゃった。
小川先生は「でも、また島で暮らしたいんだったら、これ受けないと、一人でここにおれんよ。」「治療だけ受けてきたら?」と話したそうだ。その言葉で、島外へ出て妹様と受診されて、ペースメーカー留置術を受けて、元気に島に戻って来た。

現在は自宅での心不全コントロール、塩分を取り過ぎないようにという指導を行っている。患者さんからは「前回受診したときに相談した、夜のトイレの回数が多かったのが減って楽になりました。」と言われて、「それはよかった!その分、食事を気を付けてるんですね。体重も増えとらんし。」と、小川先生。本来は心不全の治療のための利尿薬(尿を出して余分な水分を体から出す治療薬)が必要だったが、夜間のトイレのためにあまり寝れていなかったと前回の受診時に相談があったそうだ。生活と治療のバランスも考えた外来での治療計画と指導をされて、患者さんの生活が見える外来だった。妹様がいったん県外に戻られるため、次回の受診までがまた患者さんにとって島で一人暮らしを続ける次のステップのようだ。
「次の受診日までに、体重が3kg増えるようだったら、いつでも病院に電話下さいね。悪くなる前に早めに対処しましょう。」
そのあたりも、抜かりない。
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病棟では小川先生らしい「医師の処方」も

病棟では、骨髄異形成症候群の終末期のかたのお部屋に伺った。口の達者な(?)80代女性。
今回は、敗血症を合併してしまって入院となった。意識ももうろうとして、一時期危なかった。そこから回復してきて、意識もはっきりしてきて、食欲が少しずつ戻って来ているところで、担当医師より「今回のようなことが今後も続きます。頑張って生きてもらいたいですが、なかなか難しいかもしれません。最期の時のことも御家族と共に具体的に考えることも一緒にしていきましょう」と向き合った話をされた。小川先生も外来で最初に診断をした際に「2年ぐらいで、そのときが来るかもしれん。一緒にやっていきましょう。」と言っていたが「あの時は、他人のことやと思ってた。でも今回のことがあって『あー、自分ごとだ』と初めて思った。」と患者さんから言葉があった。
「『いつも病院が嫌いだ!』っていってましたもんね。外来で。それぐらい元気で意地悪なことを言ってもらえるぐらいの元気になってもらいたいです。」
と患者さんとの関係が出来ている上での『冗談』を小川先生はする。
「ほんと、こんな医者みたことないわ」と患者さんも笑顔で返す。
さっきまで、悲しい話を聞いて涙が出ていたと言っていたときと表情が変わった。これも、医師の処方なのかもしれない。
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夕方のカンファレンス

夕方のカンファレンスでは、総合診療科で診ている患者の申し送りをする。
小川夫婦(小川先生の奥様も医師なのです)より下の学年(医学生から医師6年目まで)の医師が多い。
島根県や鳥取県からの初期研修医や大阪の病院の救急専攻医プログラムに属している救急専攻科の医師などと、方針決定や情報共有を行う。
小川先生は、一年間県外の病院でトレーニングしてきて、再度隠岐の島に戻ってきた。一度島を出たことで、自分たちの病院の良いところ、より改善できるところに気づけた。自分自身の医師としての成長だけでなく、地域の病院がより良くなるにはどうしたらいいかということを考えている。
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視察2日目は訪問診療に同行。島の人々と医師の「結」

患者さんの見ている「目線」。自然と同じ目線を持つ総合診療医。

翌日の午後は、訪問診療に同行した。気管切開をして、自宅での生活を続けることを、島では今まで出来なかった。訪問診療をするまでなかなか手が回っていなかった。家族としても、気管切開をしたら島に戻って来れない。そう思っていたところ、診療看護師と小川医師の協力により、島でも訪問診療が出来ることを提示して、訪問導入になった患者様。奥様が元看護師ということもあり、吸痰はお手のものだ。ご主人の痰が貯まりやすいタイミングや栄養剤の量なども適宜調整してくださっている。
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ご主人が寝ているベッドから見える山、田んぼの風景がとても素敵で昔の日本を想起する、そんな景色。
「この地区の人は、この景色が好きだからなのか,自宅に戻ることをとても望まれる方が多いんです。」
という、遠くの稜線を見つめる小川先生の言葉がとても印象深かった。
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患者さんの「想い」。その想いも共に胸に抱く。

また、もう一件。外来でずっと診ていた人が、いよいよ呼吸状態が悪くなり訪問診療導入とした。痰が絡んで、呼吸状態が悪くなったことと、奥様の不安が強かったこと、お子様やお孫様が島外の遠方におられたことなどから、一旦は入院とした。入院して、吸引をすることで呼吸状態は安定したが、意識は悪いままだ。それでも、翌日島に到着されたお孫さんの声を聞くと、「家に帰る」と意思表示を明確にされた。
診療看護師とペアになって、最期の時を自宅で迎える準備をした。ご本人様を囲んで、御家族みんなが笑顔で話をする。穏やかな表情で過ごされているときを、医師、診療看護師が、ご本人様と過ごした時間を家族と共有していた。
一番近くにいた奥様も笑顔で、
「先生がいるから、あの人は入院でもいいかなって悩んでた。」と話すぐらい、患者さんと御家族と同じ目線や想いで接している。
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    ご家族と先生の笑顔が患者さんの一番の望みなのかも

隠岐の総合診療医 小川先生 その想いとは

「小川先生はいつもどんな感じ?」事務職員や薬剤師、看護師にも聞いてみた。

「パワフルで何でもやっていこう!という気持ちが伝わる。実際に行動におこして、結果を出しているのがすごい。義務年限中だけど、この地域が良くなるためにはどうすればいいだろうかと、常に考えてくれている。」
「話しやすい。困っていても、すぐに相談がしやすい。」
「訪問診療なんかで、家族より先に涙流したりするぐらい、気持ちのこもった先生だよ。」と地域の方からも信頼されている。
ここでも、小川先生のコミュニケーション力の高さに感心した。

離島医療のクセになるおもしろさ。そして難しさ。

離島にいて、身についたスキル、または必要なスキルって何?と聞くと、
「本土と圧倒的に異なるのは、『搬送すべきかどうかというジャッジ』をする能力ですかね。」と。

陸続きではない環境。天候に左右される搬送手段。日没までであれば、ドクターヘリも飛ぶが、夜間は自衛隊ヘリを呼んだりすることになる。病気や外傷の程度は当然のこと、患者背景や家族のことも含めて総合的に判断して、ヘリ要請をするのか、定期船で受診してもらうのかいつも考えないといけない。ただし、自分の判断が上手くいったときは、何にも変えられない喜びがあると。
「たまんないですよね。これが、離島医療の面白さだし、クセになるところだと思っています。」
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離島医療の難しさは?と聞くと、「今ちょうど直面しているかもしれません。」と切り出した。「私たち夫婦は、自治医科大学の義務年限の途中でここに来ています。いわゆる県の派遣です。義務年限が終わったときにどうするのか。どうなるのか。そして、一番の課題は、『医療の継続性』です。」と答えた。
「あの先生がいたときは、これが出来た。でも、いないとこれが出来ない。こういうのがずっと続いているんです。私たち夫婦がいて,できることもあれば出来ないこともある。属人的なんです。離島はその医療のもろさを感じますし、どこまでを担保していくのかなど考えます。医師だけでなくコメディカルへの教育面でもそうです。」
昔は、赤ひげ先生やDr.コトーのようなスーパーマンがいて、ずっと島を支えてきた。でも、それだけでは島の医療は続いていかない。医師としての成長も家族としての幸せも。だからこそ、夫婦で診療をしていく中で、チーム制の導入をして、互いに休みを取りやすくしたり、診療の基準の底上げを行う方法を模索中だ。

取材

日本プライマリ・ケア連合学会 島嶼およびへき地医療委員会
医療法人SHIODA塩田病院 総合診療科 医師 青木 信也

最終更新:2023年12月01日 18時33分

島嶼およびへき地医療委員会

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島嶼およびへき地医療委員会

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