ホームニュースプライマリ・ケア Field LIVE!vol.39 / 「 サポーターシップ を発揮して、日々自然体で患者さんと接する」【看護師】田原佳代子さん
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vol.39 / 「 サポーターシップ を発揮して、日々自然体で患者さんと接する」【看護師】田原佳代子さん
今回取材にご協力いただいた田原佳代子さんは家庭医であるご主人のクリニックで看護師として働いている方。プライマリ・ケア認定看護師としての知識・スキルを活かしながら、日々患者さんに接しています。そんな田原さんにこれまでの歩みや仕事への思い、プライマリ・ケアとの出会いなどについて様々にうかがいました。
「誰のための看護なのか」を常に考えていた
― 田原さんはどのようなきっかけで看護師を目指すようになったのでしょう?
正直、これといったきっかけはありませんでした。私が生まれたのは下関の漁師町で、女性の仕事というものは限られていたんです。魚の加工工場で働くか、学校の先生になるかといった感じですね。そういうこともあって「女の子は手に職を持っていたほうがいいよ」という周りの声も聞いていたんですけど、それが「だったら看護師に」ということにつながったわけでもないんです。ただ「人の役に立ちたい」との思いはあったようですね。
実際に看護師になるために行動を起こしたのは、高校3年生の時でした。私の友人が大阪にコンサートを見に行くというので、一緒に夜行バスで行くことにしたんです。私はコンサートではなくて、その会場の近くにある大阪赤十字看護専門学校の入学案内を受け取りに行くことが目的でした。その学校は全寮制で学費が一切かからないということだったので「親に負担をかけなくて済む」という思いから選びました。その時の志望理由書に「人間の生命に関わる尊い仕事である看護師ならば、生涯誇りを持って働くことができると思います」というようなことを書いていますから、それなりに真剣に考えていたのだとは言えるみたいですね(笑)。
― 実際に大阪赤十字看護専門学校に入ってみていかがでしたか?
楽しかったですよ。当時は学生の8割くらいは九州から出てきた子たちで占められていたことを覚えています。寮は4人1部屋とか2人1部屋でしたが、私は基本的に誰とでも付き合える性格なので、特にストレスを感じることもありませんでした。学生時代によく考えたのは「誰のための看護なのか」ということですね。自分がしたい看護をするのもいいのですが、それが患者さんのニーズに合っていないと押し付けになるのでは……といったことを考えていました。「主語は患者さんでなければ」とかですね。
こういう考えができるようになったのは、やはり学校の先生方のおかげだと思っています。赤十字の学校だったので「人道」や「博愛」といった概念を重視するんですね。結構そのあたりのことはビシッと叩き込まれると言いますか。よく「赤十字出身の看護師はプライドが高い」と言われるんですが、プライドではなくて、そういう価値観を持っているからなんですね。「看護観」から入っていくという感じです。これまで赤十字出身の人たちと働いたことは何度もありますが、それぞれ違ったタイプであっても、その根っこのところは同じだったような気がしますね。
こういう考えができるようになったのは、やはり学校の先生方のおかげだと思っています。赤十字の学校だったので「人道」や「博愛」といった概念を重視するんですね。結構そのあたりのことはビシッと叩き込まれると言いますか。よく「赤十字出身の看護師はプライドが高い」と言われるんですが、プライドではなくて、そういう価値観を持っているからなんですね。「看護観」から入っていくという感じです。これまで赤十字出身の人たちと働いたことは何度もありますが、それぞれ違ったタイプであっても、その根っこのところは同じだったような気がしますね。
医師である夫を支えることも社会貢献
― 卒業後は大阪赤十字病院に入職されました。
実は在学中に「国際救援」に興味を持って、そちらの方向に進むことも考えていたんです。国際救援というのは具体的には「国内外の紛争・災害救援、その後の復興支援、開発途上国の基礎保健支援、難民キャンプの支援」といったものになります。その国際救援のために2年生の時には海外研修としてシアトルに行き、3年生の時は個人でイギリスに語学留学にも行きました。結局は国際救援の方には行かず国内で働くことにしたのですが、その後も英語の勉強はずっと続けていましたね。
大阪赤十字病院では呼吸器内科からスタートしました。これは私の志望が通った形です。なぜ呼吸器内科を選んだのかというと、実習のときの印象ですね。そこで働いている看護師の皆さんが優しい人ばかりで「一緒に働くメンバーに恵まれていたら、仕事は楽しくできる」と思ったんです。その後は腎臓内科や整形外科、消化器内科などを経験してトータルで8年間働きました。そして、結婚・出産をきっかけに退職をしました。
― 看護師を辞めるときに後ろ髪を引かれるような思いはなかったのでしょうか?
全然ありませんでしたね(笑)。というのも、私の夫は医師として働いていて「この人を支えることで、自分のできる社会貢献はさらに広がる」と思ったからです。もちろん看護師の仕事も社会貢献につながりますが、それだけじゃない、それ以外のやり方もあるとイメージできたことは大きかったと言っていいでしょうね。夫を支えることを楽しめるとも思いました。
もともと夫は呼吸器内科の医師だったんですが、結婚してしばらく経った後に突然「家庭医になる」と言い出したんです。それで家庭医になるための「修業」として岡山のクリニックで働くということになりました。周りはものすごく反対して、私も「(妻である)あなたが止めなければ誰が止めるの!?」というくらいの勢いで言われたりしました(笑)。でも私は「この人を全面的に支える」と心に決めて結婚したので、反対する気はさらさらなく「岡山ね。はいはい、了解しました」という感じで移住の準備を進めていきました。当時は子供が2人いましたが、引っ越すことへのためらいはまったくなかったですね。
それで岡山の津山へ一緒に行き、夫は家庭医療研修を受けた後、指導医として勤務しました。そのころには子供は4人になっていました。5年ほど過ごした後に、兵庫県で2年過ごして、夫の出身地である京都に戻り、家庭医療クリニックを開院することになりました。
クリニック開院の当初、わたしは看護師としてではなく、管理業務をしながらクリニック運営を支えていましたね。お掃除とか備品を買いに行ったりとか。看護師さんは開業時から常に外来には2人いるようにと雇用もしていました。
もともと夫は呼吸器内科の医師だったんですが、結婚してしばらく経った後に突然「家庭医になる」と言い出したんです。それで家庭医になるための「修業」として岡山のクリニックで働くということになりました。周りはものすごく反対して、私も「(妻である)あなたが止めなければ誰が止めるの!?」というくらいの勢いで言われたりしました(笑)。でも私は「この人を全面的に支える」と心に決めて結婚したので、反対する気はさらさらなく「岡山ね。はいはい、了解しました」という感じで移住の準備を進めていきました。当時は子供が2人いましたが、引っ越すことへのためらいはまったくなかったですね。
それで岡山の津山へ一緒に行き、夫は家庭医療研修を受けた後、指導医として勤務しました。そのころには子供は4人になっていました。5年ほど過ごした後に、兵庫県で2年過ごして、夫の出身地である京都に戻り、家庭医療クリニックを開院することになりました。
クリニック開院の当初、わたしは看護師としてではなく、管理業務をしながらクリニック運営を支えていましたね。お掃除とか備品を買いに行ったりとか。看護師さんは開業時から常に外来には2人いるようにと雇用もしていました。
ただ、開業して3ヶ月ぐらい経つとクリニックが忙しくなって、そうも言っていられなくなりました。それで急遽現場に復帰したんです。ただ、その後新しい看護師さんが来てくれたりして人手不足は解消したんですね。だったら私にできることは何かと考えたときに「クリニックの質の担保」だと考えました。クリニックの安全と質を高めていくためにできることをしよう、と。その気持ちがプライマリ・ケアを学ぶことにつながっていったというわけですね。
恵まれた環境のなかで周りを支えていく
― クリニックの質の担保のためにプライマリ・ケアが必要だと思った理由は何だったのでしょう?
うちのクリニックはとにかく患者さんとものすごくコミュニケーションを取るんです。私自身も看護師をしていた時代は比較的コミュニケーションを取る方だったと思いますが、それはやはり患者さんのニーズにしっかりと耳を傾けるためなんですね。
特に家庭医療のクリニックは患者さんのニーズをしっかりとつかんだ上で必要に応じて他の医療機関つなげていくことも考えなければいけません。例えば「この症状だったらうちではなく、整形外科で診てもらいましょうか。連絡しておきますね」とか「この症状なら、ひとまずうちで診ておきますね」とかそういった対応をしていくわけです。その際にはエビデンスが必要になってくるので、その部分をしっかりと固めるために、プライマリ・ケアを学ぼうと思いました。
特に家庭医療のクリニックは患者さんのニーズをしっかりとつかんだ上で必要に応じて他の医療機関つなげていくことも考えなければいけません。例えば「この症状だったらうちではなく、整形外科で診てもらいましょうか。連絡しておきますね」とか「この症状なら、ひとまずうちで診ておきますね」とかそういった対応をしていくわけです。その際にはエビデンスが必要になってくるので、その部分をしっかりと固めるために、プライマリ・ケアを学ぼうと思いました。
― プライマリ・ケア認定看護師の資格も取得されています
私が学会に入ったのが2020年で、その前年に「WONCA」という学術大会が京都で開かれたんです。その会場が京都国際会館で、家から近かったんですね。岡山時代にお世話になった先生や看護師さん達も来ているとのことで、挨拶がてら足を運びました。その時に認定看護師のことを知って、ワークショップに参加させていただくことにしたんです。私としては認定看護師の資格を取るつもりはなく、ワークショップで勉強できることで充分満足していました。先ほど言ったエビデンスの部分を強化できればそれでいいと思っていたわけです。それでも勉強を続けているうちに楽しくなって「(認定看護師の資格取得に必要な)事例を書いてみようかな」という気持ちになって、実際に書いたりもしました。それで結局は認定看護師の資格を取ることになりました。私の場合、そうやって学んだことを現場ですぐに試してみたり活かしたりできるので、とても恵まれた環境にあると思っています。
― 今後取り組んできたいことなどはありますか?
それが特にないんですよ(笑)。私としては元気に過ごすことができて、毎日を楽しく迎えられたらそれでいいというタイプなんです。一緒に働く周りの人たちもそうであってほしいとの気持ちがありますね。「リーダーシップ」という言葉がありますけど、私としては「サポーターシップ」的なところを考えていきたいと思っています。医師である夫やクリニックで働いてくれる人たち、患者さんを含めた地域の方々、それぞれを支えていく立ち位置で、皆が少しでも幸せになれるように毎日を迎えていければという感じです。よく夫からは「毎日楽しそうだね」と言われるんですが、実際に楽しいんですよね(笑)。それはとてもありがたいことなんでしょうね。私としては特に気負うことなく自然体でやっていけたらと思っています。
プロフィール
【経歴】
山口県下関市出身
1996年 大阪赤十字看護専門学校卒業。
その後大阪赤十字病院で呼吸器内科、腎臓内科、整形外科、消化器内科などの混合病棟で8年間勤務した後、結婚・出産を機に退職。
2016年 夫のクリニック開業(岩倉駅前たはらクリニック)に伴い管理業務などをしながら看護師として復帰。
【資格】
2022年 日本プライマリ・ケア学会認定プライマリ・ケア看護師取得
【所属学会】
日本プライマリ・ケア連合学会
日本小児臨床アレルギー学会
日本臨床医学リスクマネジメント学会
日本ファシリテーション協会
【その他】
日本プライマリ・ケア連合学会 看護師部会 ナースのお仕事 記事
https://www.primarycare-japan.com/news-detail.php?nid=662
山口県下関市出身
1996年 大阪赤十字看護専門学校卒業。
その後大阪赤十字病院で呼吸器内科、腎臓内科、整形外科、消化器内科などの混合病棟で8年間勤務した後、結婚・出産を機に退職。
2016年 夫のクリニック開業(岩倉駅前たはらクリニック)に伴い管理業務などをしながら看護師として復帰。
【資格】
2022年 日本プライマリ・ケア学会認定プライマリ・ケア看護師取得
【所属学会】
日本プライマリ・ケア連合学会
日本小児臨床アレルギー学会
日本臨床医学リスクマネジメント学会
日本ファシリテーション協会
【その他】
日本プライマリ・ケア連合学会 看護師部会 ナースのお仕事 記事
https://www.primarycare-japan.com/news-detail.php?nid=662
取材後記
インタビューからも伝わったと思うが、田原さんにとって「楽しい」ということが仕事における重要キーワードになっているようだ。大阪赤十字病院で呼吸器内科を選んだのも、結婚を機に医師であるご主人を支えることにしたのも、プライマリ・ケア認定看護師の資格を取得したのも、クリニックの運営にしてもその根底には「楽しい」という気持ちがあったからだと言っていいだろう。それは田原さん自身の生まれもってのパーソナリティによるものだろうが、そうした姿勢に学ぶこともできそうだ。「そんなに肩に力を入れなくてもいいんですよ。仕事をもっと楽しんでいきましょう」という田原さんからのメッセージをぜひ感じ取っていただきたいと思う。
最終更新:2024年08月16日 17時10分